※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです
「甘いものや酸っぱいもの、高機能成分を含むもの。魅力的な新品種の果物が次々にスーパーに並べば、私たちの生活はより豊かになると思うんです」-こう語るのは、千葉大学大学院園芸学研究院の南川舞准教授だ。
南川准教授は、果樹の育種(品種改良)を効率化する研究に取り組んでいる。その特徴は、分子遺伝学や統計遺伝学、データ科学(機械学習など)を活用した多分野からのアプローチだ。これらの研究手法によって開発した効率的な果樹の育種法が評価され、2022年度には日本育種学会奨励賞を受賞した。 人とのつながりをとても大切にしている南川准教授に、研究や教育にかける思いを伺った。
植物好きな少女から、果樹育種の研究者へ
――研究者になったきっかけをお聞かせください
幼い頃から植物は好きでしたが、多様なバラがある自宅の庭で育ったので、「なぜこんなにいろんな色があるのだろう?」「なぜこんな香りがするのだろう?」と植物への興味がふくらんだように思います。これらの経験から、もっと植物に関わりたいと考えて千葉大学の園芸学部に入学しました。入学後、遺伝子組換えで青いバラがつくられたというニュースに心を奪われ、今までにない新しい植物をつくる、「育種」という分野に興味を持ちました。そのころから現在まで、一貫して果樹育種の効率化を目指した研究に取り組んでいます。
――なぜ果樹育種の研究を選ばれたのですか?
現在、果樹の育種には主に「交雑育種法」が用いられています。これは、異なる品種同士を交配して得られた樹の中から望ましい特性を持つ果実ができる樹を選抜する方法です。しかし、果樹は実ができるまでに長い時間がかかりますし、樹のサイズも大きいので、評価できる樹の数もそこまで多くありません。そのため、一般に果樹の育種にはとても多くの時間がかかり、選抜基準を超える果実ができる樹の獲得率も高くありません。例えば、かんきつ類では新しい品種を育成するのに平均22年も必要です。そこで、育種プロセスの効率化をはかり、育種時間を短縮して、効率的な新品種の育成に貢献したいと思ったのがきっかけです。
学生時代はバラ科の植物に興味がありましたので、バラ科果樹のリンゴを材料にして果樹育種の研究をスタートしました。分子遺伝学的な手法を用いて「自家不和合性」の解明を目指す研究に取り組みました。リンゴやナシは同じ品種同士の交配では実ができない「自家不和合性」という性質によって交配組合せが限定されるため、育種上の制約となっています。私たちはリンゴにおいてこの自家不和合性に関わる多数の花粉側遺伝子候補を世界で初めて発見し、自家不和合性を制御して自由な交配を可能にするための足がかりをつくりました。
分子遺伝学、統計遺伝学、データ科学。多方面から育種の効率化を目指す
――その後、どのような経緯で他分野の研究を開始されたのですか?
博士取得後は新たなアプローチの育種研究を切り拓きたいと思っていました。そんなときに大きな転機となったのが、東京大学大学院農学生命科学研究科の岩田洋佳先生との出会いです。
岩田先生とのお話の中で、当時、乳牛において「ゲノミックセレクション(GS)*」と呼ばれる育種法の研究・実用化が進んでいることを知りました。これは、ゲノム情報を活用して効率的に品種改良を進める「ゲノム育種法」の一種です。「もしGSを果樹に応用すれば、芽生えの段階で将来その樹にできる果実の特性を予測でき、有望な個体を早期に選抜できるのでは」と大きな可能性を感じた私は、岩田先生のもとでGSの研究をスタートしました。
私たちは果樹に最適なGSの枠組みを見つけ、これをかんきつ類に適用した場合、芽生えの段階で果実の重さや色、皮の剥きやすさなどを高い精度で予測できることを明らかにしました。芽生えの段階で優れたものを選抜できるため、選抜対象とする個体数を大幅に増やすことができます。将来的には、消費者や生産現場のニーズに対応した新品種を効率的かつ迅速的に育成できるようになると考えています。
*ある生物のゲノム情報を解析して優れた特性を持つ個体を予測して早期に選抜することで、品種改良において望ましい特性を持った生物を効率的に育成することができる。この手法では多数の遺伝子が関わる特性の予測が可能。
――なるほど、これで育種がかなり効率化されそうですね。
実用化に向けてGSの精度をさらに上げるには、ゲノム情報とかんきつ果実の皮の剥きやすさや硬さなどの特性情報が大量に必要です。しかし、実際の育種現場では少数の育種家が各果実の特性を手作業で評価しているため、短期間で多くの特性情報を得るのは困難です。
私たちは、機械学習を用いることで、かんきつ果実の断面画像からその特性を予測できることを明らかにしました。この画像は自動的に取得することもできるので、果実の特性情報を果実の断面画像から効率的かつ大量に取得することができるようになり、GSの精度向上が期待されます。
――本当に多方面から育種の効率化に取り組まれているのですね。
育種分野で分野横断的な研究をしている人は多くないと思います。自分のバックグラウンドとは異なる新たな分野を切り拓くのはとても大変です。GSや機械学習の研究にはプログラミングや数学の知識も必要で、これらが不慣れな私はとても苦労しました。
しかし、多角的なアプローチにより植物の遺伝システムを統合的に理解することができるのは大きな魅力です。このようなアプローチは、今後の育種学、園芸学の発展のためにも重要であると考えています。
育種現場との綿密なコミュニケーションが成功へのカギ
――研究を進める上で重視していることは何ですか?
GSを実際の育種現場で取り入れていただけるように、「育種現場のニーズ」を常に意識しています。育種家の方々とのとつながりを大切にし、変動する育種現場の状況やニーズを確認できるようにしたいと考えているためです。
また、果樹はGSに必要なデータを実験的に集めることは非常に困難ですので、育種現場との協力は不可欠です。「学問としての育種学」と「育種現場」をつなぎ、GSの現場での実用化を目指しながら、現場の知恵をGSの発展にも活用できるよう、今後も育種家の方々とのコミュニケーションを続けていきたいと考えています。
――今後はどのような研究に力を入れたいですか?
今後は、これまで培ってきた分子遺伝学、統計遺伝学、データ科学の技術を融合した学際的アプローチによる研究に取り組みたいと考えています。各分野の相互作用により、新たな研究成果が生まれると期待しています。
共同研究もとても大切にしたいと思っています。現在、農研機構や国内企業、海外大学などと共同研究をしていますが、今後は機械学習や画像解析の最先端の手法を研究されている先生方、植物の栽培技術を研究されている先生方とも協力できればと思っています。また、ゲノム育種に興味をお持ちの育種家の方々とも積極的に関わっていきたいです。
ライフイベントと研究を両立できる環境をつくりたい
――准教授として学生の教育に関わる中で、意識されていることはありますか?
研究室では学生とのコミュニケーションを大切にしたいと思っています。コミュニケーションが円滑になれば、学生を適切にフォローできるだけではなく、学生の斬新な視点から新しい科学の芽が生まれることもあります。学生自身の興味を尊重しつつ、一緒に楽しく研究できるとうれしいですね。
――研究だけでなく、教育でも対話を重視されているのですね。他に力を入れていることはありますか?
「ライフイベントと研究をうまく両立させる方法」を模索・提案したいですね。
私自身、これまで二度の産休・育休を取得しました。当時は研究を続けられないかもしれないと思っていましたが、周囲の方々のサポートがあったからこそ今も研究を続けられています。この経験から、今度は私が学生や研究員をサポートする側だと強く感じています。
私一人の力は限られているかもしれませんが、千葉大学の先生や職員の方々とも協力しながら、学生や研究員がライフイベントと研究を両方楽しめるよう力を尽くしたいと考えています。
――最後に、学生へのメッセージをお願いします。
ゲノム情報などのビッグデータを活用した育種法に興味をお持ちの方、ぜひ一緒に研究しましょう!ビッグデータを解析する技術と遺伝子を解析する技術を組合せた学際的なアプローチにより、植物の遺伝システムを多角的に眺めてみませんか。
インタビュー / 執筆
太田 真琴 / Makoto OTA
大阪大学理学研究科(修士)を卒業後、組込みSEとして6年間勤務。
その後、特許翻訳を学んでフリーランス翻訳者として独立し、2020年からは技術調査やライティングも手がけるように。
得意な分野は化学、バイオ、IT、製造業、技術系スタートアップ記事。
「この人の魅力はどこか」「この人が本当に言いたいことは何か」を問いながらインタビューし、対象読者に合わせた粒度の記事を書くよう意識しています。
撮影
関 健作 / Kensaku SEKI
千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。