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アートに込められた暗号を読み解く~近世ヨーロッパの女性画家の活躍とその背景に迫る 千葉大学 大学院人文科学研究院 助教 川合 真木子[ Makiko KAWAI ]

2024.04.01

目次

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※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです

絵画を解き明かす仕事がある。それはまるで隠された意味を一つ一つ明らかにする暗号解読のようだ。これまで日の当たらなかった近世ヨーロッパ女性画家研究でも注目されている美術史研究者、人文科学研究院の川合真木子助教に絵画の魅力と画家たちの意外な素顔を伺った。これまでとは絵画が違って見えてくるだろう。

絵画を「読み解く」研究とは?

―先生はアート(芸術)にかかわるものを扱う研究をされていますが、アーティストとはまた違ったアプローチをとられていますね

絵や彫刻などの視覚的イメージを分析・解釈し、歴史的な側面から掘り下げる美術史を専門にしています。もともとアートを生みだす側というよりは文化財保護などに興味があり、「制作する道でなくても美術に関わる方法がある」と知ってこの道を選びました。歴史、宗教、社会学など多数の分野を横断する幅広さが特徴です。

―どのようなところに面白さや難しさを感じますか

文字で書かれていない、絵画に込められた意味や内容を読み解いていく深い味わいがあります。西洋絵画では伝統的な表現のルールがキャンバスに内包されている絵が多くあり、そのルールを知ると、それまで見えなかった意味が浮かび上がってくるのです。

ただ、その面白さは裏を返すと難しさにもなります。手紙など文字資料の情報は意味や日付を特定しやすいのですが、イメージの読み解きは複数の可能性がある場合も多く、正解を導き出すのはとても難しい作業です。

自画像でアピールした画家たち ~図像学(ずぞうがく)と肖像画

―西洋絵画の表現の約束について、詳しく教えてください

聖書や神話の内容を、文字を使わずに絵(=図像)だけで伝えるために発達したルールです。例えば、本は教養、犬は夫婦間の忠節を意味します。近世ヨーロッパではこうしたシンボル を組み合わせ、複雑な寓意(ぐうい)を持つ作品が生まれるようになりました。それを理解するアプローチのひとつが「図像学」です。

近世のアートに触れる最初のハードルともいわれますが、多少のルールを知れば深い意味を内包していると理解でき、絵の見方が大きく変わります。最近では図像学の解説書がとても増えてきており、関心の高まりを感じます。若桑みどり先生*をはじめとする先輩研究者たちによってまかれた種が、ついに花開いたのでしょう。

*若桑みどり:千葉大学名誉教授 美術史家 イメージ研究やジェンダー文化研究において多くの業績を残した日本の草分け的存在 2007年に71歳で逝去

―図像学について、もっと知りたくなってきました

画家自身も、シンボルや図像を巧みに利用してセルフプロデュースに活用していました。「画家」と聞くと、右図のようにパレットや絵筆を持った姿を思い浮かべませんか?

さらに趣向を凝らした自画像もあります。下図をご覧ください。侍女を従えて楽器を演奏している自分を描くことで身分と教養をほのめかしつつ、イーゼルで画家としてのプライドものぞかせています(下右)。「える」自画像を送り、パトロン(支援者)へ営業したのです。

アントニス・モル《自画像》
(ウフィツィ美術館所蔵)
ラヴィニア・フォンターナ《演奏する自画像》(アカデミア・ディ・サン・ルーカ所蔵 © Accademia Nazionale di San Luca, Roma. Foto Mauro Coen) 奥にイーゼルが見える

―自画像を売り込みに使っていたとは!まるで現代のブロマイドのようですね

想像以上にたくましいですよね。さらに、近世ヨーロッパでは女性画家の肖像にはもう一つの存在意義があったとされています。それは「女性を描いた美しい絵であること」です。例えば、ウィーン美術史美術館が所蔵するソフォニスバ・アングイッソーラの《自画像》では、手に持った小さな本に乙女(Virgo)という単語が読み取れます。つまり、当時の女性画家には教養があり、控えめで思慮深く、貞潔な美しい女性であることが期待されていたのです。女性画家として活躍するためには、才能に加えて、社会の求める理想の女性像を体現する必要があったことがうかがえます。

規格外の女性画家「アルテミジア・ジェンティレスキ」

―当時の女性画家は、優れた画家であるだけではなく、「あるべき女性」としての振る舞いも求められたのですね

そこに一石を投じた画家が誕生しました。アルテミジア・ジェンティレスキです。画家の家に生まれた彼女は幼い頃から優れた才能を発揮し、父親から絵の教育を受けて育ちました。しかしながら、17歳のときに画家仲間から性的暴行の被害に遭ってしまいます。若く美しい彼女が、つらい経験から立ち直るドラマチックな側面ばかりが注目を浴び、フェミニズム美術史の「アイコン」としても、ある種「神話化された像」が一人歩きしていました。

一方フィレンツェ美術アカデミーの会員に認められた初の女性、すなわち大成功を収めた画家という側面も持つ、当時としては規格外な女性画家だったのです。

―アルテミジア・ジェンティレスキを研究対象に選んだきっかけは?

まだ学部生だった頃、アルテミジア・ジェンティレスキの描いた《ホロフェルネスの首を斬るユディト》(下)を見て、「こんなドラマチックな絵があったんだ!」と興味を持ちました。「もっと知りたい」と資料を探すと、欧米ではジェンダー研究で脚光を浴び研究が進んでいる一方で、日本語の文献はほとんどありませんでした。アルテミジア・ジェンティレスキをできるだけ本来の姿に沿った存在として研究しよう、特に手つかず状態である彼女の後半生を調べよう、と決意しました。以来、「等身大の彼女を知りたい」という思いに動かされ、アルテミジア・ジェンティレスキを研究しています。

《ホロフェルネスの首を斬るユディト》(ウフィツィ美術館所蔵):旧約聖書(外典)の『ユディト記』に記された物語。ユダヤの町ベトリアが将軍ホロフェルネスに包囲された際、町の住人ユディトが侍女とともに敵の陣営に乗り込み、酔ったホロフェルネスの首を剣で切断して町を救った。一部からはアルテミジア・ジェンティレスキが性的暴行の復讐を絵で果たしたとも評されている。

―彼女はどんな人物だったのでしょうか?

感性のアンテナを張り、ローマに生まれながらフィレンツェ、ベネチア、ロンドンと仕事がある場所、自分の画風が好まれるエリアへと移動して仕事を受けました。最終的にナポリで工房を構え、大成功の末に60代まで活躍しました。
フィレンツェではあのメディチ家にも仕えましたが安住はせず、個人コレクターから教会まで常に複数の顧客を抱えて、仕事を選ばず上手にリスク分散していた姿勢が見られます。

10年以上にわたる研究内容をまとめた書籍『アルテミジア・ジェンティレスキ 女性画家の生きたナポリ』(晃洋書房)

―マーケティングセンスが素晴らしいですね。

それこそが彼女の成功の秘訣(ひけつ)です。「女性が描いた裸婦像」が流行した頃には、コレクターの要求に応えて女性ヌードをたくさん描きました。また報酬に関してもシビアな感性を持っていたことがうかがえます。ナポリはローマより相場が低めでしたが、彼女は「わたしはローマ人ですから、ローマのやり方で行います」とローマ並みの代金を要求した記録が残っています。

改めて近世の女性画家を歴史の中に位置づける

―これからの研究展望についてお聞かせください

近年、16~17世紀の女性芸術家研究が進んできました。私も対象を広げてアルテミジア・ジェンティレスキと同世代の女性芸術家研究を進めたいと思い、現在はアルカンジェラ・パラディーニやジョヴァンナ・ガルツォーニの伝記を翻訳しています。
「彼女たちは忘れられていたわけではなく、積極的に排除されていた」これは美術史家グリゼルダ・ポロックの言葉です(『美術手帖』2021年8月号)。今の美術史の基礎は19世紀以降の男性中心社会で築かれました。顧みられてこなかった近世の女性芸術家たちを改めて歴史の中に位置づけすることは、美術史全体の発展にも必要ではないでしょうか。

―美術史を学んでみたい方へメッセージをいただけますか

美術史は語学の習得や社会背景の理解も必要で、手間のかかる学問かもしれません。けれども、私のように元来引きこもりがちで、用事がなければ外出をほとんどしないタイプの人間が、イタリアへ留学してまで学びたいと思うほどの面白さがあります。思い切って色々なことに挑戦されてみてください。きっと世界が開けます。

● ● Off Topic ● ●

 

おすすめの美術館はありますか?

 
 

国立西洋美術館(東京・上野)は収蔵作品の素晴らしさはもちろん、鑑賞コースがきっちり決まっていないので自由に観られます。好きな絵のところに何度でも戻れますし、絵を見比べて共通点を自分なりに発見できる面白さがありますよ

 
 

正直、絵をどうやって見たら良いか分かりません

 
 

「誰がこの絵を注文したのか」と注文主について考えてみるのはいかがでしょう。貴族が自分の権威やステータスを誇示するためにオーダーしたのか、教会が教義を伝えるために依頼したのかを推理するのです。中にはヘンテコな絵もありますよね。「うわぁ、一体誰がこの絵を欲しがったんだろう……」と思うと想像がふくらんで楽しくなってきませんか?

 

インタビュー / 執筆

安藤 鞠 / Mari ANDO

大阪大学大学院工学研究科卒(工学修士)。
約20年にわたり創薬シーズ探索から環境DNA調査、がんの疫学解析まで幅広く従事。その経験を生かして2018年よりライター活動スタート。得意分野はサイエンス&メディカル(特に生化学、環境、創薬分野)。ていねいな事前リサーチ、インタビュイーが安心して話せる雰囲気作り、そして専門的な内容を読者が読みやすい表現に「翻訳」することを大切にしています。

撮影

関 健作 / Kensaku SEKI

千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。

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