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徳倫理学の可能性~「徳」から教育や宇宙を考える 千葉大学 大学院人文科学研究院 准教授 立花 幸司[ Koji TACHIBANA ]

#哲学#宇宙
2024.12.09

目次

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哲学の専門領域の一つである倫理学には、人間の徳を探求する「徳倫理学」という分野がある。正直さや誠実さ、思慮深さ、自律性など、一口に徳といっても、その種類はさまざまだ。徳を研究することは、これからの現代社会になぜ必要なのだろうか。また徳の研究は、どのような分野と結びついているのだろうか。徳倫理学の研究者として、複数の分野で研究を進めている人文科学研究院の立花幸司准教授に話を伺った。

徳倫理学が問う「人としての成長」

―2023年に編者としてまとめられた書籍『徳の教育と哲学』というご研究テーマについて説明いただけますか。

徳とはひとまず、「個人に備わる心のあり方」とお考えください。古代ギリシアの哲学者であるプラトンやアリストテレスは、徳とは何なのか、徳はどうやって身につくのかということを、さまざまに議論してきました。こうした哲学的な探究は、現代では「徳倫理学」と呼ばれています。だから、徳を哲学することと、徳を教育することは、もともと強く結びついているのです。

では現代の日本社会で、徳をどのように考えればいいか。
私はよく小学校や中学校、高校で授業を行う機会があります。その際に、「大きくなったらどうなりたいですか?」と尋ねると、多くの子どもたちは「プロ野球選手」「YouTuber」「有名人」「お金持ち」などと答えます。興味深いことに、「誠実な人になりたい」「他人に優しい人になりたい」「嘘をつかない人になりたい」「信頼される人になりたい」といった、人柄に関する答えをする子どもはほとんどいません。基本的には、職業や社会的ステータスを中心に自分の将来像を描いているのです。

―「どうなりたいか」という質問だから、人柄に関する答えがあってもよいのに、そういう答えは皆無なんですね。

そうなんです。けれど、人が成長するうえで、どんな職業や社会的ステータスであっても「どういう心を持った人間であるか」ということのほうが大切だというのが、徳倫理学の主張です。

現代社会は職業や収入、社会的なステータスを重要視する風潮にあり、子どもたちもその影響を受けてしまっている。しかし「人としてどのように成長するか」、つまり「どのような徳を身につけるか」ということへの関心があまりにも低すぎる。そこはもう少し問い直していく余地があるのではないか、というのが「徳の教育と哲学」という研究の背景にあるモチベーションです。

現代日本の「徳」イメージ

―先生は研究をどのように進めているのでしょうか。

2019年に哲学者や教育哲学者に集まってもらって、教育哲学に関する研究会を立ち上げました。ここでは海外の文献を読んだり、メンバーがそれぞれ研究発表をしたりしました。その成果としてまとまったのが『徳の教育と哲学』という本です。

最近では、一般の方々のグループと、徳について詳しいと想定される専門家グループを対象に、人々が「徳」という言葉について、どのように理解し、どのようなイメージを持っているかアンケート調査を用いて考察しました。
興味深いのは、「徳」という言葉に多くの人がネガティブな印象を持っていないという結果が得られたことです。これは予想外の結果でした。

―戦前日本の教育勅語のような経験をふまえると、徳や道徳教育に抵抗がある人も少なからずいそうですが、そうではなかったと。

はい。戦後約80年が経過しますが、「徳」という言葉に対して否定的な印象は、データ上ほとんどありませんでした。もちろん、日本の歴史的な経緯を踏まえて、特定の徳目を教えることがもつ危うさは忘れてはいけないと思います。ただ、そのことと、徳というものを大事にすることとは別問題です。
重要なのは、どの徳を選ぶかに関してオープンな議論を続けつつ、徳を重視した教育や子どもの成長を考えるということだと思います。

―アンケートでは「徳」の理解やイメージに関して、一般の方々と専門家との間で何か違いは見られたのでしょうか。

一般の方は、徳をより受動的で感情的なもの、例えば「感謝」や「思いやり」と結びつける傾向があることが分かりました。ここには仏教的な価値観も影響しているように思えます。それに対して専門家たちは「自律性」や「思慮深さ」など、西洋的な価値観を重視する傾向が見られました。
この調査は足がかりにすぎませんが、これを出発点にして、徳という言葉の印象が変化してきた要因の分析や、学校教員の方々の徳に関する理解についての調査など、さらに研究を進めていく必要があると考えています。

JAXAとの研究――隔離閉鎖環境でなぜパフォーマンスが下がるのか

古代ギリシアの哲学者 アリストテレスの全集
アリストテレスが行った講義記録等からなり、アリストテレス研究の基盤となっている。古代ギリシア語で書かれたこの原点を読み解くことを通じて、人間存在と世界についてより深い洞察と本質的な理解を目指す。

―先生は、徳倫理学の研究者として宇宙航空研究開発機構 (JAXA) や海外の宇宙機関の方々と研究をされていると伺っています。どのような研究をされているのですか。

徳倫理学では、個人が一度徳を身につけると、その人は安定して徳のある行動を取ることができると考えます。例えば勇気のある人は、さまざまな状況で勇敢に行動できるし、正直な人は、どんな場面でも正直でいられる。これが伝統的な徳倫理学の考え方です。
でも、「そんな安定した性格なんて持てるのか?」という批判が、1960~70年代の心理学の研究から出てきました。人間の行動は、「徳がある」という心のあり方よりも、その場の環境や状況により左右されるのではないかという、大きな論争になっていきました。

この論争を見て私が注目したのは、「隔離性」と「閉鎖性」の問題です。心理学から、人間は隔離された閉鎖環境に置かれると、倫理的な行動が難しくなるという知見が出てきて、1960~70年代にはそういう実験が多く行われましたが、1980年代に入るとこの研究は途絶えてしまった。なぜかというと、人間を隔離閉鎖環境に置く実験をすると、参加者に心理的な負担がかかり、自己評価が下がったり、メンタルヘルスに問題が生じたりすることがわかってきたからです。そのため、研究倫理が進んだ現代ではこうした研究ができなくなってしまいました。

そんな中で私が注目したのが、国際宇宙ステーション(ISS)です。宇宙飛行士たちは、半年間隔離され、閉鎖環境で生活しながらパフォーマンスをチェックされています。興味深いことに、彼らのパフォーマンスは次第に低下し、いわゆる倫理的・社会的な行動も悪化していくことが確認されています。例えば、仲間とのトラブルや地上スタッフとの問題、さらにはハラスメントの問題が発生することもあるんです。

厳しく訓練された宇宙飛行士でも、このような状況下では倫理的パフォーマンスが低下する。その原因は何か、どうすれば防げるのかという研究が、宇宙医学や宇宙心理学の分野で進められていることを知りました。私はこの研究を、1960~70年代の心理学研究の後継として理解できるのではないかと考えました。そこでJAXAの方々にこの話を持ちかけ、一緒に論文を書いたり研究を進めたりするようになりました。それが2016年頃のことです。

宇宙で生まれる新たな徳――コスモポリタニズムの可能性

―現在はどのような宇宙に関する研究を進めようとしているのですか。

いま注目しているのは、人類が宇宙に進出することで国籍というものが薄れていく可能性がある、ということです。国際宇宙ステーションもその一例です。もちろん、今後どうなるかはわかりません。ロシアや中国は独自の宇宙開発ネットワークを構築していますし、アメリカは「アルテミス計画」という国際月探査プロジェクトを進めています。アルテミス計画には、日本やヨーロッパ20カ国以上が参加する大規模な国際プロジェクトですから、かつての冷戦のように大きなグループ分けが再び生じる可能性もあります。

でも宇宙空間という場所は、少なくとも今のところは、地球上で歴史的・文化的に消すことが難しい国境や文化の違いから解放される場所なのです。この視点を維持できれば、人間のあり方や徳についても、これまでの社会で求められてきたものとは異なる新たな徳が生まれる可能性を秘めています。

私自身は、それを「コスモポリタニズム(世界市民主義)」と考えようとしています。地上でこの理想を実現することは非常に難しいですが、宇宙に出ていく場合には、このコスモポリタニズム的な価値観を慎重に取り入れることで、国家や国籍という縛りを薄めた新しい社会を作るチャンスがあるかもしれません。

周りが無視するところにチャンスあり

―これから大学で学ぼうという学生にメッセージをお願いします。

学問の枠にとらわれず、周りがどう言おうと、自分が好きなことをやり続けるのが良いと思います。また、周りが気にしていないことに自分が引っかかったときこそ、チャンスがあるんじゃないか、とも感じます。他の人が「つまらない」と思うことでも、自分が「面白い」と感じたなら、その感覚は独自のものです。周りが無視しているからといって、自分も無視せず、あえてそこで立ち止まって考えると、新たな発見が得られるかもしれません。

私自身は若いころ、アリストテレスの倫理学を教育思想として読み直す研究をして博士論文を書きました。当時そういう研究はほとんどなかったのですが、「何かできるはずだ」と信じて、やり続けるしかなかった。「これが面白い」と確信することはあっても、そこから何が出てくるかはわからない。それでも、「自分には何か見つけられるはずだ」と信じて続けていくことが大切だと思います。

インタビュー / 執筆

斎藤 哲也 / Tetsuya SAITO

人文ライター。東京大学文学部哲学科卒業後、大手通信添削会社を経て2002年に独立。
人文思想系を中心に、ライター・編集者として多くの書籍や記事を手がける。
「またこの人に頼みたい」と思ってもらえるような取材・執筆を心がけている。

撮影

関 健作 / Kensaku SEKI

千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。

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