■研究の概要:
千葉大学大学院看護学研究院の酒井郁子教授をはじめとする研究チームは、アメリカで開発された臨床現場で研究成果を活用するための看護師長のリーダーシップを測定する尺度(Implementation Leadership Scale: ILS)の日本語版を開発し、その信頼性と妥当性を検証しました。これにより、日本でも研究成果を現場で活用するための看護管理者のEBP(エビデンスに基づいた実践:evidence-based practice)実装に向けた戦略的リーダーシップが測定でき、国際比較研究が可能となりました。
この研究チームは、千葉大学の佐伯昌俊助教、東海大学の友滝愛特任講師、慶應義塾大学の深堀浩樹教授、札幌医科大学の山本武志教授、国際医療福祉大学の西垣昌和教授、甲南女子大学の松岡千代教授、国立保健医療科学院の保田江美氏で構成されています。本研究成果は、2023年10月23日に、学術誌Journal of Nursing Managementに電子出版されました。
■研究の背景:
EBPは、研究と臨床的エビデンスに基づいてより良い医療を提供することで(図1)、患者の健康状態や満足度の改善、および医療費削減も期待されます。EBPへの関心は、日本だけでなく世界中で高まっています。しかし諸外国に比べ、とくに日本の看護分野ではEBPの普及が遅れています。この課題を解決する方法の1つとして、看護管理者のリーダーシップ向上が期待されており、EBPのリーダーシップの評価が必要です。
本研究で検証したILSは、現場のEBP実装において管理者が示す戦略的リーダーシップを評価するものです。この尺度はもともと、臨床現場でEBP実装に向けた介入プログラムを開発するために、カリフォルニア大学サンディエゴ校のAarons博士らによって開発されました。ILSは英語版のほか、中国語やギリシャ語、ノルウェー語にも翻訳され活用されています。しかし、ILSの日本語訳はなく、これまでどのような看護管理者の特性がILSの得点に関連するかも、十分に検証されていません。 そこで今回、研究チームはEBP実装における看護管理者の戦略的リーダーシップを評価し、研究エビデンスを臨床実践に効果的に統合するために、日本語版ILSを開発しました。また、妥当性検証として、日本語版ILSとオリジナルのILSとが同じ概念で評価できているかを統計的手法で確認するとともに、過去の研究でEBP実装に関連すると示されている看護管理者の「高等教育による看護学の学習・研究の経験」「EBPに関する実践・学修経験」がILSの高得点につながるのではないか?という仮説を検証しました。
■研究の成果:
ILSには看護管理者による自己評価用とスタッフ看護師による他者評価用の2種類があります。日本語版ILSを作成するにあたり、オリジナルのILSを翻訳後、臨床看護師に各項目の表現について確認してもらいました。次に、日本国内の3つの大学病院に所属する看護管理者119名とスタッフ看護師2,858名を対象にWeb調査を行い、妥当性を検証しました。
Aarons博士らのオリジナルのILSでは、12項目の質問に対し4つの構成要素「Proactive Leadership(先を見越して行動する)」「Knowledgeable Leadership(EBPをよく知っている)」「Supportive Leadership(支持的である)」「Perseverant Leadership(根気強い)」を持っていました。日本語版ILSもオリジナルと同じ概念を測定するかを検証するために、確証的因子分析という統計手法を用いました。その結果、日本語版ILSの看護管理者による自己評価とスタッフ看護師による他者評価の両方でオリジナルのILSと同じ構造が確認されました(図2)。
高等教育による看護学の学習・研究の経験とILS得点の関連性を調べるため、看護管理者を最終学歴により3つのグループ:①高校/専門学校/短期大学、②大学、③大学院(修士/博士)に分けました。ILSの得点を比較したところ、高校/専門学校/短期大学のグループに比べて大学院のグループでは得点が高く、看護学の学習・研究の経験があるほどILS得点が高くなる傾向が明らかとなりました(図3)。
また、EBPに関する学習経験、EBPに取り組んだ経験によるILS得点の違いを検証した結果、EBPの学習経験とEBPに取り組んだ経験はどちらも、経験ある看護管理者のほうがILS得点が高いことが明らかとなりました(図4)。
過去の研究でも、個人のEBP実装に関連する要因として、EBP研修や高等教育、EBPへの信念が報告されており、今回の研究でもこれらを支持する結果でした。
本研究ではILSの得点と看護管理者の特性との関連を検証しましたが、スタッフ看護師のサンプルでは検証していません。例えば、看護管理者との関係性や一緒に働いた経験は、スタッフ看護師の回答するILS得点に影響している可能性があるので、さらなる検証が必要です。
■今後の展望
日本では現場でEBPを実装するためのリーダーシップに関する研究はこれまで行われてきませんでした。しかしながら、EBPの実装を推進するためには、リーダーの役割を担う人材が欠かせません。今後、日本語版ILSを用いた調査研究を進めることで、EBP実装に向けた看護管理者のリーダーシップの実態が明らかとなるとともに、リーダーシップを高めていくための手法の開発と検証、さらにはEBPを推進するリーダーの人材育成に貢献できると考えています。 今回の研究を通して、ILS開発者のAarons博士と議論する機会がありました。Aarons博士は実装科学(Implementation Science)に関する国際研究から実装フレームワークや実装戦略を開発しており、これらの日本での応用可能性について議論しました。今後、さらに日本でのEBP実装に関る研究を推進するために、海外の研究者とネットワークを構築することで、世界的なEBP研究の推進に貢献できることが期待されます。
■研究プロジェクトについて
本研究は、以下の支援を受けて行われました。
日本学術振興会 (JSPS) No. 19H03955
研究課題名:回復期リハビリテーション病棟におけるEBP実装プログラムの検証
研究代表者:酒井郁子(千葉大学 大学院看護学研究院 教授)
■論文情報
タイトル:Reliability and Validity of the Japanese Version of the Implementation Leadership Scale for Nurse Managers and Staff Nurses: A Cross-Sectional Study
著者:Masatoshi Saiki, Ai Tomotaki, Hiroki Fukahori, Takeshi Yamamoto, Masakazu Nishigaki, Chiyo Matsuoka, Emi Yasuda, Ikuko Sakai
雑誌名:Journal of Nursing Management
DOI:https://doi.org/10.1155/2023/4080434
■参考論文
The implementation leadership scale (ILS): development of a brief measure of unit level implementation leadership.
著者:Gregory A Aarons, Mark G Ehrhart, Lauren R Farahnak
雑誌名:Implementation Science
DOI: https://doi.org/10.1186/1748-5908-9-4