※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです
「ウンチ化石ハカセ」ーー自虐ではなく、そう自称する研究者がいることをご存じだろうか。その人の名は、千葉大学教育学部 泉賢太郎准教授。「生痕化石」(せいこんかせき)と呼ばれる、生物が行動した痕跡から当時の古生物の生態や地球環境を探索する新進気鋭の古生物学者だ。
従来の手法にとらわれない独創性が高く評価され、2022年度千葉大学先進学術賞を受賞。新しい地質時代「チバニアン」の研究チームでも活躍した。意外にも行動原理は「劣等感」と応援部で培った「気合い」。そこから生まれた「研究者としての生存戦略」を90分のロングインタビューでたっぷりと伺った。
「今の地球と全然違う!」古代地球に魅せられた幼少期
気づいたら、太古の世界に思いを馳せていた。
今の研究につながる一番古い記憶は図鑑です。魚や昆虫などいろいろなテーマがある中で、「地球の歴史」を紹介する図鑑を開いたときの驚きを今でも鮮明に覚えています。地球の様子も生きものの姿も今と太古の世界では全然違うということに不思議とワクワクし、気づいたころにはそんな太古の世界に思いを馳せるようになっていました。
同じ理由で日本史・世界史も好きでした。裏を返せば、ものすごい化石マニアというわけではなかったのです。大学入学前に化石発掘をした経験もなかったですし、映画「ジュラシック・パーク」も見たことがありません。だから、大学4年生になって卒業研究のテーマを決めるときに指導教員から「君は何を研究したいの?」と聞かれて、とても困ってしまいました。
とりあえず誰もが思い浮かべる「恐竜」を挙げると、「それなら、海外に行くことになるかもしれない」と言われました。恐竜化石は海外の地層から発見されることが多く、学問の場としても進んでいますからね。けれど、「日本で研究できないなら、恐竜はやめておこう」と当時の私は即断しました。というのも東京大学応援部に所属していて、六大学野球の応援などで充実した日々を送っていたからです。
今しかできない応援部をやり切りたいという強い思いがあり、国内でできる研究に絞りました。大学4年生で配属した古生物学の研究室では、指導教員からいくつか卒論研究テーマ案を提案していただきました。例えば化石の化学分析を主体とする実験系、数理モデルに基づく数値計算を行う理論系、そしてフィールドワーク(野外調査)に軸足を置くアウトドア系のテーマです。前の2つはなんとなく漠然とした苦手意識があって、直感でやってみたいと感じたフィールドワークを選びました。ちなみに今は全部やっていますけれど(笑)。
「何も知らない」をオリジナリティへ昇華
「行ったことがないから」という理由で、山口県下関市にあるジュラ紀(1億8300万年前)の地層を卒業研究のテーマに選んだ。
初めてのフィールドワークは楽しかったですよ。調査現場の地層の状態は先輩にも同情されるほど悪条件だったのですが、なんせ事前の経験も先入観もないので「こんなものかな」と受け入れました。
もし化石マニアでいろいろ知っていたら、期待値が高すぎて挫折していたかもしれません。もしかしたら、何も知らないことが反対に強みなんじゃないか、とその頃から考えるようになりました。大学4年間の応援部生活のおかげで恐ろしく体力と精神力がついていたのも功を奏しました。
大学院進学後は、応援部を引退して浮いた時間・気力・体力を全て研究に投入して、研究に没頭する日々でした。大学4年間で部活に没頭していたことや、元々化石マニアでもなかったこともあり、周囲との差も感じていたので、当時はとにかく必死に気合いで研究を行っていました。
まだ誰も手をつけていないブルーオーシャンを探す
大学院に進んだある日、ドイツ出張に一緒に行かないか、と指導教員が声をかけてくれました。ドイツにもジュラ紀の地層があり、おそらく先生は「卒業研究で調べた地層と比較するようなテーマで修士研究をやってみては?」と考えていたのだと思います。
けれども、ドイツは約150年前から地質学や古生物学の研究が盛んだったお国柄。調査地の地層とそこから発掘された化石が、相当な精密さで研究され尽くしています。そこを日本の大学院生が調べたところで、新しい発見をするのはほぼ無理だと気づいて絶望しました。要するに大ピンチです。
なにか手つかずの部分はないか――この逆境を跳ね返すべく必死で調べたところ、骨など生きものそのものが残った体化石(たいかせき)に比べて、足跡や巣穴やウンチといった生物の行動の痕跡である生痕化石(せいこんかせき)はほとんど研究されていなかったのです。ドイツの調査地の中で比較的「手つかず」の状態で残っていた化石がウンチの化石で今に至る、というわけです。
なぜそんなに自分の置かれた状況を客観視できたのか――そう質問すると、意外な言葉が返ってきた。
劣等感です。小学校から周囲には常に優秀な同世代がいて、どうあがいても勝負にならない現実を見てきました。どの世界に行っても、信じられないほど賢い人たちがいるんだな、と。
けれどやはり古生物学に関する研究職に就きたいという思いがあったので、「彼らと同じ土俵で勝負したい」と見込みの低い道を選ぶのではなく、「彼らとは違うアプローチで、自分にしかできないことで勝負しよう」と考えるようになりました。実は、応援部に入ったのも同じ理由です。劣等感を自覚しつつも目標を見据えて、自分なりに消化して生きのびる糧にしてきました。
また、常に論理的に考える人であれば、成功する可能性が低いと実行に移さない傾向にありそうです。ただ応援部時代には、多くの人が「意味がなさそう」と感じることをたくさんやってきて、時としてそれが何か大きなことに繋がるという経験も何度もしました。先入観を持たずに「意味がないかもしれないけれど面白そう」で飛び込んでみる、私もその精神を受け継いだのかもしれません。
古生物学では発掘された数少ない化石から、当時の生き物や地球の環境について仮説を立て実証します。アイデア一本で勝負できる可能性があるという点も、自分に向いていたのだと思います。
古生物学を「地球生命科学」へアップデート
研究の幅を広げるため、最近は異分野交流も大切にしている
最近では生物学が専門の人とも積極的に共同研究をしています。彼らと化石の話をすると、生きている個体を扱っているからだと思いますが、「その化石だった生物の生活史や寿命は? どんな色をしていたの? 雄雌どっち?」など、今まで古生物学者からはあまり聞かれたことのない質問が降ってきます。
化石は一つ発掘されるだけでも大発見、というケースも多く、極端な話サンプル数がたった一つ(n=1)の世界で事象を語っているんです。確かにサンプルの数が少ないので仕方のない側面はありますが、もしかしたらその発掘された化石がほかの平均的な個体群とはかなりかけ離れた特性を持っている個体だったかもしれません。つまり、発掘された化石は、その古生物を代表する個体ではないのかもしれません。同種であっても、成長段階や雌雄や生息地域だけでも大きな差が生まれることは、ヒトを含めた現代の生きものを観察しても想像がつきます。
生物学の研究では、一般的に多くの個体を扱うことができますし、生きている個体を観察することも可能です。けれど古生物が生きていた当時の姿を見ることは、絶対に不可能です。それでも何とかして、よりもっともらしい推定をしたい。そのためには、化石のみを研究対象にしているだけでは限界があると感じてきました。例えば、今現在生きている生物を古生物学的な視点を持って研究したり、あるいは数理モデルに基づく理論的なアプローチで古生物の行動のメカニズムを推定したりするような研究をしたい、と思ってきたのです。「古生物学」というよりも「地球生命科学」とでも呼ぶべき、より広い視野を持つことが重要だと感じています。とはいえ、目指している研究像と現時点を比較すると、この先があまりにも茨の道であることが自明なので、震えている毎日です。
ただ震えているだけでは進まないので、まずは今、現生生物のウンチの研究をしたり、水槽内で飼育実験をしたり、新たな数理モデルを構築したり、環境DNAに注目する研究を開始したり、さまざまな研究テーマを一歩ずつ進めています。
古生物学、ひいては地球生命科学とは私にとって、研究すればするほど、未知の部分が見えてくる終わりのない学問です。
そんな研究で忙しい合間をぬって、大好評の「ウンチ化石学入門」の出版や、Twitterで「#古生物学者の1日」「#古生物学者あるある」を発信している。
化石の研究に憧れる子どもは多いと思うのですが、進学先として古生物学の研究室を選ぶ学生さんはとても少ない。もしかしたら古生物学者のキャリアに関する情報が少なすぎるのが原因かもしれない、研究者の日常やリアルな姿を知ってもらえれば、この世界に入ってきてくれる学生さんが増えるかもしれない。そんな思いを込めて、これからも初心者でも楽しく読める本を書き、Twitterやさまざまなメディアで発信していきます。
インタビュー / 執筆
安藤 鞠 / Mari ANDO
大阪大学大学院工学研究科卒(工学修士)。
約20年にわたり創薬シーズ探索から環境DNA調査、がんの疫学解析まで幅広く従事。その経験を生かして2018年よりライター活動スタート。得意分野はサイエンス&メディカル(特に生化学、環境、創薬分野)。ていねいな事前リサーチ、インタビュイーが安心して話せる雰囲気作り、そして専門的な内容を読者が読みやすい表現に「翻訳」することを大切にしています。