※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです
生物多様性を守るための対策が積極的に進められている。一方で、人間の心理的なバイアスが多様性の保全に不都合をもたらしている可能性があるという。ダーウィンの進化論をベースに、ヒトと生物の相互作用を広い視野で探求する大学院園芸学研究院 深野祐也准教授に、人間が自然に及ぼすインパクトとネイチャーポジティブ*への道のりについて伺った。
*ネイチャーポジティブ:生物多様性の減少を止めるための対策を講じるだけでなく、現在の状態よりも自然環境を改善し、未来の世代に豊かな自然を残すことを目指すアプローチ。
人間そのものにも興味を持つ生態学者
これまでの生態研究は、昆虫や動植物にのみフォーカスを当てたものが多く、ヒトは研究対象外であった。見過ごされてきたヒトと生物との相互関係の領域に新風を吹き込んだのが深野准教授だ。
私は人間も一種の生物としてフラットな目線で見ています。人間も植物や昆虫と同じように好きですし、人間の良い面だけでなく、人間が自然を開発して都市化してきたことによってさまざまな問題が起きた過程にも、興味をかきたてられます。
これまで顧みられることの少なかったヒトと生物の相互関係を、独自の視点から鮮やかに解明する。従来の生態学とは異なり、人間にも興味を持つのはなぜだろうか。
人間が環境に与えるインパクトの大きさです。人間はごく短期間にかつてない規模の環境変化を起こし、生物もスピードを上げて適応しています。生物に与える影響から見た「人間活動」にも興味がありますし、環境変化による生物の適応が人間自体にどのようにフィードバックするのか、考え出すと止まりません。
ヒートアイランドによる植物の進化を初めて解明
2023年10月、人間活動が植物の進化に影響を与えた研究で大きな注目を浴びた。研究対象はカタバミという、ありふれた雑草だ。
眠たがる子どもを抱きかかえながら自宅近くを歩いているときに、ふと赤いカタバミの多さに気づきました。カタバミは繁殖力が強く、世界中で見られる雑草です。葉が緑のタイプと赤のタイプがありますが、アスファルト舗装された環境では赤葉をよく見かけることから、都市化に対する適応進化が関係しているのでは、と仮説を立て調査しました。
すると、たった数十メートルしか離れていない芝生と住宅地(アスファルト舗装)でも葉色の割合が異なっていました(下図)。都市を模した環境で栽培実験を行ったところ、通常の気温では緑葉の方が良く成長しましたが、高温下(35℃)では緑葉よりも赤葉の方が良く成長したのです。
これは、都市の高温ストレスによって、都市で赤葉が進化したことを強く示唆しました。また、赤葉の遺伝子を調べると、赤葉への進化は1カ所で起こった変異が拡散したのではなく、さまざまな場所で起こっていたことが分かりました。
都市の熱さで植物は赤く進化する-ヒートアイランドへの急速な適応進化を初めて実証
都市におけるカタバミの進化は世界中で起こっている可能性があると考え、iNaturalist*という生物の観察記録アプリを使って、世界中の人々がアップロードしてくれた9,561枚のカタバミの写真を分析して検証しました。その結果、予測通り世界の都市部で赤葉の割合が高く、都市の高温ストレスによってカタバミの葉色が赤く進化し高温耐性を獲得することを発見しました。ヒートアイランドによる植物の進化が初めて解明されたのです。
*iNaturalist :地球上の生物多様性に関する観察データを誰でも追加可能、またオープンに利用できる世界的な市民観察プラットフォーム
本論文は掲載開始からたった4カ月で1万ダウンロードされるほど注目を浴びた。
現在、かずさDNA研究所を中心に、市民参加型のオープンサイエンス「みんなでカタバミプロジェクト 」で、赤葉への進化を探索しています。どこにでもある雑草を対象に、市民の協力を得て研究の量・質を高める取り組みです。データは全て公開し自由に利用できます。希望される方はディスカッションにも参加できますから、興味のある方はぜひプロジェクトのウェブサイトをご覧ください。
人間の自然観が生物の多様性を左右する
人間に関心を持つ理由が、もう一つある。
シンプルに私たち人間も進化の産物だということです。生物は目的を持って進化しているのではなく、自然の中で生きのびて繁殖しやすかった性質が増えていく過程を進化と呼んでいるのです。ある意味機械的な過程によって人間も生まれた。人間に存在する進化の痕跡から、私たちはどこから来たのか、なぜ私たちはこのような性質を持っているのかと思索します。
その中でも進化心理学といわれる、人間の心理的な進化に学部生の頃から魅了されてきました。身長・肌の色・睡眠周期といった形態・生理・行動形質は進化の産物です。同じように一部の心理的な性質も進化によって形成されたと考える学問です。
人間が自然をどのように見ているのか、心理面から解き明かすことは非常に重要だという。
人間の自然観は意図せず偏っています。積極的に保護されている絶滅危惧種は可愛かったりかっこよかったりする動物が多く、地味で目立たない虫は保全のための資金や仕組みも低い。私たちの住む環境は人間の感情に強く影響を受け、人間の感情が種の保全を左右している現実があるのです。
現代、特に都市部では虫嫌いな人が多い。なぜなのか進化心理学の視点から現代の「虫嫌い」を検証した。
虫嫌いの背景には、病原体の感染を避けようとする過去の進化的圧力によって形成された心理的メカニズムがあるのではと示唆されました。さらに都市生活では虫を見る機会が減り、有害かどうか識別する能力が低下した結果、多くの人が虫を嫌悪するようになったと考えられます。
虫嫌いは、昆虫の保全を阻む要因の一つでしょう。保全になぜ偏りが生まれるのか、偏りがあることでどれくらい保全が非効率になるのかを進化心理学の観点から明らかにしたい。そして、人々の感情を変えることで保全が少しでも良い方向に進むのかを追ってみたいと考えています。
山間部での農業が鍵を握る日本のネイチャーポジティブ
生物多様性の保全に進化心理学から斬り込むなど、斬新なアイデアと顕著な功績で「ナイスステップな研究者2023」として選定を受けた。
この数年で、社会における生態学のニーズが高まっています。企業や金融機関が投資や取引先企業を選定する際に、環境への適切な配慮がされているか否かが重要な指標になっているからです。ただし、見せかけの環境配慮を行うと、グリーンウォッシュ*と認識されます。そのため、データの信頼性を明示するべく国際的なガイドラインに沿った客観的な開示や対応が求められています。
*実際には環境改善の取り組みをほとんど行っていない企業や団体等が、環境に優しい活動をしているようなイメージを消費者に与える行為のこと
今回いただいた「ナイスステップな研究者*」でも、受賞者の10人中3人が生態学者でした。以前なら考えられない注目度です。応用的な保全に繋がるところを評価していただいたのはとても嬉しく感じます。
*ナイスステップな研究者:文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)によって、専門家約1600人への調査や研究成果、科学技術イノベーション向上への貢献などで選定される
これからの日本で生物多様性を守るために必要な対策を聞いてみると、「農業」と即答が返ってきた。
農業の持続性、特に農地の約4割を占める山間地など地理的条件が不利な地域(中山間地域)における持続的な農業が重要です。絶滅危惧種の多くは中山間地域の水路や草地などに存在しているため、離農は絶滅危惧種の消失を意味します。持続可能な農業への支援が生物多様性の保全に直結するのです。
この問題に生態学者ができることは多数あります。なかでも、環境と労働への負荷を減らしながら農業生産性の向上を狙えるICT活用は非常に有望です。例を挙げると、ブロッコリーは最適日からたった1日収穫がずれるだけで20%も減益します。農業情報科学のスペシャリストと一緒に作った最適な収穫日を推定するシステムは、シンプルながら収益の安定化や規格外野菜の減少に大きく寄与します。
現在は、田畑の上にソーラーパネルを設置する営農型太陽光発電「ソーラーシェアリング」で電力を自給自足する共同研究を進めています。ソーラーシェアリングはまだ始まったばかりで、日照や土壌条件の調査や適した作物の選定など知見が不足しています。けれどもそう遠くない未来に、再生可能エネルギー由来電力を使用し、生物多様性も守りながらICTで効率化した農業システムが確立できるでしょう。そうしたら持続可能な農業、ひいてはネイチャーポジティブ達成が大きく前進するのではないかと非常に期待しています。
● ● Off Topic ● ●
進化心理学、初めて聞きました。先生が進化心理学に興味を持ったきっかけは?
「なんで人間は花をきれいだと思うのだろう」という疑問です。花をめでる文化は世界中にあり、おそらく人間が本来備えている性質だと思うんです。でも、その進化的なメリットは全く分かっていません。そこを追究したいなと興味を持ったのが始まりです。
先生はX(旧ツイッター)も活用されていますよね。論文のアイディアストック用ですか?
気になる論文や情報を見つけると、備忘録もかねてツイートしています。ツイートするアイデアはCC0(クリエイティブコモンズゼロ=著作権を放棄したもの)です。自由にご活用ください!
先生のツイートで、世界が広がっている人はいっぱいいると思います。これからも楽しみにしています!
インタビュー / 執筆
安藤 鞠 / Mari ANDO
大阪大学大学院工学研究科卒(工学修士)。
約20年にわたり創薬シーズ探索から環境DNA調査、がんの疫学解析まで幅広く従事。その経験を生かして2018年よりライター活動スタート。得意分野はサイエンス&メディカル(特に生化学、環境、創薬分野)。ていねいな事前リサーチ、インタビュイーが安心して話せる雰囲気作り、そして専門的な内容を読者が読みやすい表現に「翻訳」することを大切にしています。
撮影
関 健作 / Kensaku SEKI
千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。