※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです
この宇宙には、まだまだ多くの謎が隠されている。宇宙を記述する「完全な理論」とは、どのようなものなのか…。そんな壮大な謎に素粒子実験学者として挑むのが、千葉大学大学院理学研究院の有賀昭貴准教授だ。
有賀准教授は、「ニュートリノ」と呼ばれる素粒子に焦点を当てて実験を行っている。2023年には、人類史上初となる「衝突型加速器由来のニュートリノ」の検出にも成功。素粒子物理学のフロンティアを切り開いた成果が高く評価され、千葉大学先進学術賞を受けた。1年の半分はスイスで過ごす多忙な研究生活を送りながらも、「自分にしかできない研究に取り組みたい」と目を輝かせながら語る有賀准教授に、研究や教育にかける思いを伺った。
ニュートリノを通して宇宙の謎に立ち向かう
――先生が研究されている「ニュートリノ」とは何ですか?
ニュートリノは、物質を構成する最も基本的な要素「素粒子」の一種です。他の物質ときわめて弱い相互作用しかせず、観測が難しいため「幽霊粒子」とも呼ばれています。ニュートリノは「宇宙における物質生成の謎」とも関係があると言われており、その性質を解明するため、世界中の研究者がさまざまな実験に挑んでいます。
――先生がニュートリノの研究をはじめられたきっかけは?
名古屋大学4年生のときに、ニュートリノ実験の研究室に入ったのがきっかけです。当時は東京大学宇宙線研究所が運用する世界最大の水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置であるスーパーカミオカンデの完成もあり、ニュートリノ研究に熱い注目が集まっていました。そこで、私もぜひこの分野に関わりたいと思い、ニュートリノ研究者である丹羽公雄教授の下で研究を開始しました。
私が最初に参画したのは、OPERAと呼ばれるプロジェクトです。これは、スイスとフランスの国境にある欧州原子核研究機構(CERN)から、730km離れたイタリアに向かってニュートリノを飛行させる実験で、当時予想されていた「ニュートリノ振動*」を実際に観測することを目的としていました。私はプロジェクトで使用する検出器の開発を担当し、学生ながら検出器のリーダーも務めました。
*ニュートリノ振動:ニュートリノが飛んでいる間に別の種類のニュートリノに変化する現象。宇宙のはじまりにおける物質生成の謎とも関係があるとされている。
――学生なのにリーダーとは、すごいですね!
本当によい経験をさせていただいたと思います。OPERA実験は無事成功し、ニュートリノ振動を観測できました。この成果は、2015年の梶田隆章先生のノーベル物理学賞受賞にもつながるものでした。
私はその後も国内外でさまざまなニュートリノ実験に携わり、現在は千葉大学の准教授とスイス・ベルン大学の助教授を兼任しています。日本とスイスを往復する、エキサイティングな毎日です。
人類史上初!非常に難しい高エネルギーニュートリノの観測に成功
――先生は現在、FASERという国際実験に参加されていると聞きました。これはどのような実験なのですか?
FASERは、CERNの世界最高エネルギーの陽子・陽子衝突型加速器(LHC)を使用した実験です。LHCの陽子衝突で生成したさまざまな粒子を、480m離れたトンネル内の検出器でとらえます。私はFASER実験の中でも、ニュートリノの検出を目的としたFASERνというプロジェクトのリーダーを務めています。
LHCを使えば従来の実験よりも1桁以上高いエネルギーを持つニュートリノを生成できます。つまり、世界で初めて高エネルギー領域でのニュートリノの振る舞いを調査できるのです。これにより、素粒子に関する新たな発見が生まれるのではと期待しています。
――具体的に、どのような成果が期待されるのですか?
「素粒子標準模型の改良」です。素粒子標準模型とは、素粒子同士の相互作用を記述する理論*のこと。1970年代半ばに体系化されたこの理論は、素粒子に関する多くの実験結果を矛盾なく説明できるため「20世紀の物理学の到達点」とされてきました。
*素粒子同士の相互作用を記述する理論:4つの力のうち重力以外の力、すなわち電磁気力、弱い力、強い力を記述し、さらに質量を与える素粒子「ヒッグス粒子」を含めた理論体系のこと
しかし実は、この宇宙には素粒子標準模型では説明できない謎がまだ多く残されています。
例えば、素粒子標準模型では①電子ニュートリノ、②ミューニュートリノ、③タウニュートリノという3種類のニュートリノが同じように振る舞うとされています。しかし近年、「タウニュートリノだけ異なる性質を持つのではないか」と予想されるようになりました。FASERνでこれまで未開拓だった高エネルギーのニュートリノを調べれば、3種類のニュートリノの違いを明らかにして、素粒子標準模型を超える新たな物理学を創出できるのではと期待しています。
私たちは2022年からFASERν実験を開始し、2023年にはTeV領域*の高エネルギーニュートリノを世界で初めて検出しました。この成果が、2023年度の千葉大学先進学術賞の受賞につながりました。
*TeV(Tera electron Voltテラエレクトロンボルトの略)領域とは、『1テラ電子ボルト、すなわち1012eV(1兆電子ボルト)のこと。電子ボルトとは、素粒子・イオンなどがもつエネルギーの単位。「eV」エレクトロンボルトともいう。100万電子ボルトはMeV』
――LHCを使った高エネルギーニュートリノの実験は画期的なのですね!では、なぜこれまで同様の実験が行われてこなかったのでしょうか?
LHCでは高エネルギーニュートリノ以外に「邪魔者」の粒子も非常に多く発生します。一般的にこのようなノイズが多い環境ではニュートリノを検出するのが難しいため、「LHCでニュートリノ実験なんてできるわけない」というのが常識でした。私はこの常識を打ち破るため、まずノイズが少ない場所を特定しました。その上で、減らしきれなかったノイズの中でもニュートリノを探すアルゴリズムの開発を行い、ノイズが多い環境でも稼働できる特殊なニュートリノ検出器を開発したのです。
私の検出器は「エマルション検出器」と呼ばれ、エマルションフィルムとタングステンの層から構成されています。エマルションフィルムの内部にはハロゲン化銀の結晶(約200nm(ナノメートル))が大量に埋め込まれており、この各結晶が小さな「検出器」として働くことで、粒子の飛跡を「50nm」という非常に高い位置分解能で検出できます。他の技術を使った最もいい検出器が10μm(マイクロメートル*)程度の分解能なので、それより200倍も高精度です。
*1mmの1/1000を1μm(マイクロメートル)、1μmの 1/1000を1nm(ナノメートル)
この検出器によってLHCでもニュートリノの検出ができるようになり、高エネルギーニュートリノの観測が可能となりました。
――今後はどのように実験を進められる予定ですか?
2025年までFASERνが続くので、データ収集と解析を引き続き進めます。すでに高エネルギーニュートリノの観測には成功していますが、実はこれは得られる予定のデータの1%を解析した結果にすぎません。残りの99%のデータを解析すれば、3種類のニュートリノの違いについてより詳細な結果が得られるでしょう。「これからが本番!」という思いでワクワクしています。さらに、将来的にはFASERνの200倍の高エネルギーニュートリノを観測できる実験施設の建築も計画しています。素粒子標準理論の核心に迫るため、人生をかけて研究を続けたいですね。
あえて人と違う道を選び、自分にしかできない研究を
――研究を続ける上で重視されていることはありますか?
「自分にしかできない研究をする」ことを心がけています。数百人の研究者が参加する大規模な実験にメンバーとして参加するよりも、自分の検出器でしかできない独創的な実験を自ら立ち上げるのが好きですね。実際、これまでに日本とスイスで非常に多くの実験プロジェクトを立ち上げてきました。
実験にはさまざまな国の研究者が関わるため、文化の違いに戸惑うこともあります。しかし、各メンバーの視点の違いを理解した上でリーダーとしてプロジェクトをまとめるのも貴重な経験だと感じています。
学生にも「自分が主体となる人生」を送ってほしい
――学生の教育に関わる中で、意識されていることはありますか?
日本とスイス、どちらの学生ともコミュニケーションを絶やさないよう工夫しています。例えば、スイス滞在中は日本の学生と定期的にリモート面談をして、研究の進捗や悩みを聞くようにしています。体力的には結構大変ですが、どちらの学生にもよい教育環境を提供したいですから。
また、「学生にはなるべく研究の『正解』を教えない」ように意識しています。正解を教えてしまうと考える力が育たず、自力で研究を進められなくなるからです。もちろん、ある程度ヒントを与えた方が伸びる学生もいるので、学生の個性に合わせて最もよい関わり方を考えるようにしています。
――最後に、学生へのメッセージをお願いします。
社会に出るにしてもアカデミアに残るにしても、「これは自分にしかできない!」という領域を持ってもらいたいですね。自分の強みを育てて、自分にしかできないことを成し遂げる。そうすれば、「誰かの歯車となる人生」ではなく「自分が主体となる人生」を歩めるはずです。学生のみなさんがそんな人生を送れるよう、心から応援しています。
インタビュー / 執筆
太田 真琴 / Makoto OTA
大阪大学理学研究科(修士)を卒業後、組込みSEとして6年間勤務。
その後、特許翻訳を学んでフリーランス翻訳者として独立し、2020年からは技術調査やライティングも手がけるように。
得意な分野は化学、バイオ、IT、製造業、技術系スタートアップ記事。
「この人の魅力はどこか」「この人が本当に言いたいことは何か」を問いながらインタビューし、対象読者に合わせた粒度の記事を書くよう意識しています。
撮影
関 健作 / Kensaku SEKI
千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。