#次世代を創る研究者たち

細胞から生命誕生へ、命がつながるロジックを求めて~胚モデル最後のピース “PrES(プレス)細胞” を樹立 千葉大学 大学院医学研究院 講師 大日向 康秀[ Yasuhide OHINATA ]

2025.03.24

目次

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神秘とも思える生命誕生の仕組みを科学の力で解き明かすための熾烈な競争が、世界中の研究者により繰り広げられている。幹細胞のみで初期胚の作製を試みる人工胚モデル研究が注目される中、胚モデル作製に必要な最後のピースであるPrES(プレス)細胞を作り上げたのが、大学院医学研究院の大日向康秀講師だ。本研究が科学技術の発展に貢献したことを高く評価され、2024年度には科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(研究部門)を受賞。倫理面を重視し、慎重かつ鮮やかに生命誕生のメカニズム解明に挑む姿をご覧いただきたい。

人工胚モデルに必要な3種の幹細胞

そもそも、生命とはどのように形成されるのだろうか。

私たちの生命は、ひとつの細胞である受精卵からスタートします。哺乳類のモデル生物であるマウスの卵は、受精後2つに分裂し、その後4、8、16……と分裂を繰り返すことで、やがて異なる種類の細胞が現れ、受精後3.5日目には、3種類の数十個の細胞からなる胚盤胞(はいばんほう)と呼ばれる組織が形成されます。

人工的に胚モデルを作製するには、胚盤胞を作る3種類全ての幹細胞が必要です。主に胚を形成する幹細胞「ES細胞」は、マーティン・エヴァンズ博士らが1981年にマウスの胚盤胞からの樹立に成功し、ノーベル賞を受賞しました。胎盤を形成する幹細胞「TS細胞」は、1998年に現在東京大学の田中智先生らがマウス初期胚からの樹立に成功。残る卵黄嚢を形成する幹細胞は長い間樹立されないままでしたが、2022年に我々の研究チームが、マウス胚盤胞から「原始内胚葉幹細胞(PrES細胞)」を樹立することに成功しました。理論的にはこれで人工胚モデルを作るための全てのパーツが揃ったのです。

*幹細胞:多様な細胞に分化でき、かつ培養で増やせ冷凍保存も可能な細胞

人工胚モデル作製の仕組み
受精後3.5日目には、エピブラスト、栄養膜、原始内胚葉の3種類、数十個の細胞からなる胚盤胞と呼ばれる組織を形成する。

この3つを組み合わせ、生命の萌芽が作られる仕組みを解明することを目標に、研究を進めています。幹細胞を組み合わせて作製した組織をマウスの子宮に着床させ、胚のようなものを作るところまでは成功しています。しかし、未だ正常なマウスの誕生には至っていないため、試験管内で精密に再現する研究を今後も進めていきます。我々がマウスで得た知見は、ヒトの初期発生過程を理解するための重要な基盤となるでしょう。

発生メカニズムはシンプル&クリティカル

PrES細胞を樹立できたポイントはどこにあったのだろうか。

ES細胞やiPS細胞は私たちの体を構成する全ての細胞を作り出せることから「万能細胞」と呼ばれており、多くの研究者の興味を集めてきました。しかしこれらは、胎盤や卵黄嚢などの胚以外の組織は作ることができません。胎盤や卵黄嚢は生命の発生のためには不可欠ですが、生まれた後には不要になる組織です。我々はPrES幹細胞の重要性を確信し、コツコツと研究を進めてきました。

細胞の培養もとても地道な実験でした。培養に用いる培地によく使われる血清には未知の因子も多く含まれており、血清を加えると増殖が抑制されたり、性質が変化してしまったりする細胞もあります。その他にも細胞を増殖させるための因子の組み合わせなど、検討するべき事柄がとても多い。これらを一つ一つ解決し、血清を含まない培養液の使用、そして最適な因子の組み合わせの発見により、PrES細胞の樹立に成功しました。

胚モデル作成が可能となり、競争が一段と激しさを増すと予測される “レッドオーシャン”で勝算はあるのだろうか。

胚モデル研究は世界的に注目されており、大規模スクリーニングのような時間も人手もお金もかかる手法では我々に勝ち目はありません。しかし「現在解決するべき問題は何なのか」を熟考して、限られたリソース内で実行可能だと思われるプランに落とし込む。このスタイルで、他の研究者がやらないアプローチを考え出すことができれば、大きな研究室とも競争できます。独自のアイデアを深め、作戦を練ることにこそ研究の本質があると思っています。何よりもその方が楽しいですよね。

じゃあ具体的にどう落とし込むのか?例えば私がまず知りたいのは、初期発生の制御システムの使い方であって、細かな遺伝子発現の動きではありません。パソコンに置き換えて説明しますと、パソコンが動く仕組みを知らなくても、キーボードを叩けばモニターに文字が表示される体験を積み重ねれば、なんとなく使い方がわかってきます。しかし、パソコンを全てバラバラのパーツに分けてしまったら、一体どのパーツが何をしているのか見当もつきません。

ここで、キー入力=シグナリング、パーツ=遺伝子と対応させてみてください。バラバラのパーツからパソコンの仕組みを調べる=遺伝子一つ一つの働きから初期胚の仕組みを調べる、これには途方もない労力と時間が必要です。

しかし、どのキーがいつ押されているか、つまりシグナル入力の組み合わせ、タイミングを調べるのであれば、かなり実験をシンプルにできます。もちろん、必要であれば遺伝子の発現データやエピゲノムデータも取得しますが、シグナルレベルの情報を基本として、さまざまな組み合わせで細胞を解析することで、実行可能な研究に落とし込むことができます。

細胞から生命への流れをロジックで統合する

生命誕生の解明に取り組む理由は、命の連続性に対するロジックの提示と、その先にある不妊治療の根本的な改善

培養皿の中でどんなに細胞を増やしたとしてもそれらを「生命」とは認識しづらいですよね。細胞は細胞、胚は胚と捉えるのではなく、細胞から生命への一連の流れを理解し、その理論に従って幹細胞を用いて試験管内で再現したいと考えました。

これらの研究は、例えば不妊治療に応用することができるかもしれません。現在、日本の不妊治療の実施件数は世界でもトップクラスです。不妊の原因はさまざまですが、卵子の老化が原因での不妊治療においては、数が少なくなってしまった卵子を回収して、受精させたものを子宮に戻す手法が主流です。しかしこの方法は卵子の老化という根本的な原因を解決できません。胎盤や卵黄嚢などの幹細胞培養技術をヒトに応用すれば、胎児への遺伝情報に影響を与えず、胎盤や卵黄嚢を若返らせることができるかもしれません。未開拓な分野ですが、将来的には生殖補助医療技術に結びつけることができればと、希望を持って研究しています。

生命の誕生そのものを扱うため、倫理面での課題は避けて通れない。

現在私は、発生学者の立場からマウスを用いて研究を進めています。もしヒトの細胞を用いて胚モデルを作製する研究を進める場合は、マウスのとき以上に倫理面にも常に配慮し、社会的にも容認されるような明確な目的を説明する必要があると思います。

例えば、臓器移植については数十年という長きに渡って議論が重ねられ、現在のガイドラインが誕生しました。胚モデル研究においてもまずは十分に議論を尽くす必要があると思います。ガイドラインは本来、研究者の足枷ではなく、守ってくれるものとして捉えるべきです。適切なルールが定められてこそ、研究者は「倫理上問題ない研究」を実施することができます。したがってルールが定められることは極めて重要で、それが研究者および社会にとって適切なものになることを願っています*。

*現状は、法律や指針を整備しているのは一部の国にとどまり、日本ではルール整備の必要性について専門委員会が政府へ提言した段階。

思ったとおりに行かない人生も悪くない

高校卒業後、ジャズトランペッターを経てから大学進学、という異色の経歴の持ち主。「真っ直ぐに進んだつもりが遠回り。いいじゃないか」という座右の銘にも生き方や研究姿勢が表れている。

私は自分の研究能力が特別に高いとは思っていないので、大学院生の頃は良い研究をするためにはどうするべきか悩むことも多かったです。私個人は、ストイックに研究だけに集中し、他の人よりも働くというやり方を取りました。研究への姿勢は本当に人それぞれで、本人が納得して選択すればいいと思います。私の場合は手持ちのカードをよく見て、優先順位を強く意識しています。あれもこれも望むのは難しいですね。

ジャズトランペッター時代の大日向講師

個人的な経験から言うと、基本、人生は思ったとおりにはいかないものです。私も大学院時代はしたつもりの努力が報われずに辛い思いをたくさんしましたが、今振り返ってみると全てそれほど悪い経験ではなく、結果的には楽しかったなと思っています。回り道は大した問題にはなりません。研究者への道は平坦ではありませんが「自分は一体何を知りたいのか、それをどう解明するか」という問いを意識し、少しずつでも進み続ければきっと道は拓けます。それくらいの開き直りはとても大事です。もし研究に行き詰まったら、人生の一先輩の言葉として思い出してください。

● ● Off Topic ● ●

 

先生はお料理が趣味だそうですね。

 
 

お店で出てくるような料理を目指して始めたら、いつしか友達を呼んで、美味しく食べることが定例になりました。

自然から直接食材を頂くのも楽しいですね。先日は自治医大の先生と日立沖まで出たのですが、サバがいっぱい釣れました。その先生は狩猟免許も持っているのですが、以前、帰ったら玄関先に鴨が数羽入ったダンボールが置かれていてちょっとびっくりしました(笑)。それらは鴨南蛮そばにして、ありがたくいただきました。

 

研究でご多忙な中、どうやって趣味の時間を捻出されているのですか?

 
 

基本的には仕事人間ですが、思ったような結果が出なくて苦悩しているときに、仕事と精神状態のバランスをとることはとても大事だと思います。手っ取り早く気分転換できるのはラーメンですね。良く働き、良く食べる、機会があれば集中して良く遊ぶということです。

インタビュー / 執筆

安藤 鞠 / Mari ANDO

大阪大学大学院工学研究科卒(工学修士)。
約20年にわたり創薬シーズ探索から環境DNA調査、がんの疫学解析まで幅広く従事。その経験を生かして2018年よりライター活動スタート。得意分野はサイエンス&メディカル(特に生化学、環境、創薬分野)。ていねいな事前リサーチ、インタビュイーが安心して話せる雰囲気作り、そして専門的な内容を読者が読みやすい表現に「翻訳」することを大切にしています。

撮影

関 健作 / Kensaku SEKI

千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。

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