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湿度の高い時期、放っておくと増え続けるカビ。特に雨が続く季節には浴室を中心にカビが生えてしまいます。カビは薬や発酵などに欠かせないものである一方、人体に影響を及ぼす病原体となることもあります。私たちが生活する上で気をつけなくてはいけないカビというのはどのようなものなのでしょうか。基本的なことから日常に役立つカビ対策まで、日本で唯一、病原真菌を専門に研究する公的機関である真菌医学研究センターでカビの研究を続ける千葉大学 矢口貴志准教授にお話を伺いました。
そもそもカビというのは、何でしょうか?
生物は植物、動物、微生物の三つに分けられ、目に見えない生物を「微生物」と呼びますが、微生物は真核生物である真菌と原核生物である細菌に分けられます。真核生物は細胞内で遺伝情報が詰まった核が核膜で覆われているものを指します。原核生物は核膜がなく、ほとんどが細菌(バクテリア)です。私たち人間を含む動物や植物はみな真核生物です。そしてカビも同じ、真核生物なのです。真核生物のうちカビと酵母とキノコ、これを合わせて「真菌類」と呼びます。この全てをカビという人もいます。
カビは自然界で何を行っているのでしょうか?何かの役割を果たしているのですか?
自然界において植物は光合成によって主に「生産」の役割を、動物は植物や動物を食べる「消費」の役割を、微生物はそれらを分解し土に還す役割を果たしています。つまりカビは物質循環の中で「分解」という非常に重要な役割を担っているのです。
例えば日本人の約20%が持っているといわれる水虫は白癬菌というカビが原因で起こりますが、実は白癬菌は死んだ動物の毛、骨などを分解しています。
水虫のようにカビが人に対して悪い影響を与えることもありますが、逆に医薬品の材料になるペニシリン、日本食に欠かせないしょうゆやみそを作る麹、パン生地やアルコールを発酵させる酵母など、発酵して食品を作るという良い役割も果たしています。このように微生物は人にとって良い面と悪い面の両方を持っているのです。
カビは自然界ではなくてはならないものなのですね。家に生えるカビは、どのように増えていくのでしょうか。
カビが生育するためには三つの条件があります。それは温度と湿度と栄養源です。この三つの条件が整えばカビはどこでも繁殖します。具体的には温度20~30度の間、湿度60%以上、そしてほとんどの有機物が栄養源になります。雨の多い季節はこの条件に合うことが多いため、この季節に繁殖するのです。昔は冬になると気温も下がり乾燥していたので、カビが繁殖する季節は限定されていましたが、今はどの家庭でも暖房や加湿器を使っているため、季節による差は少なくなってきています。
一年中カビが繁殖するようになってしまったのですね。対策としては何をすれば良いのでしょうか。
<浴室>
お風呂場に生えるカビは黒色汚れの原因になります。汚れの他で問題となるのは「マラセチア」というカビです。皮膚につくと脂漏性皮膚炎や癜風(でんぷう)などを起こし、あせものような症状が起こります。マラセチアは皮脂を好むカビなので、風呂釜やお風呂用のタオルなどは毎回よく洗って乾燥させることが大切です。そのため、タオルはお風呂場に置きっぱなしにするのではなく、できるだけ外に干した方が良いでしょう。また浴室は湯垢やせっけんのかすもエサになりますので、こういうものを取り除くことも大切です。
<室内>
生活している部屋の温度を20度以下にすることは難しいため、こまめに換気をすることが大事です。そしてなるべく湿度を下げ、カビのエサとなるホコリなどを取り除くように掃除しましょう。
その他カビが生えやすい場所は空気が澱んでいる場所です。例えば下駄箱は靴から土が持ち込まれ、換気も良くないので注意が必要です。換気がおろそかになりがちな寝室やクローゼットもカビが生えやすい場所です。
<ふとん>
人は一晩でコップ一杯くらいの汗をかくと言われていますので、朝起きて湿ったままのふとんを押入れにしまうのが実は一番良くありません。ふとんもなるべく干すと良いのですが、花粉症の方など外で干すことが難しい場合はふとん乾燥機を使うと良いでしょう。湿気がこもりがちな冬場は特に気をつける必要があります。上半身の方が汗をかきやすいので、掛けぶとんは半分に折って、足の方に置くだけでも違います。枕はカバーの代わりにタオルを敷いて、毎日換えると効果的です。
<洗濯物>
部屋干しした洗濯物が匂うのはカビが主な原因ではなく細菌によるものですが、基本的には細菌もカビと同じで、扇風機を回すなど換気を心がけ、なるべく早く乾かすようにすることで繁殖を防ぐことができます。浴室乾燥の設備があるご家庭であればこれを使うと早く乾かせる上、水分が部屋に回らずお風呂場も乾燥するのでカビ防止にもつながり、一石二鳥の方法と言えます。
<エアコン>
ホコリのたまりやすいエアコンも要注意です。フィルターは二週間に一度くらい水洗いをして、よく乾かすこと。吹き出し口は割り箸にティッシュなどを巻いてふき取る。ホコリが目立ってきたら必ず掃除しましょう。加えて半年に一度程度は専門業者に依頼すると理想的です。
掃除をするときに気をつけることはありますか?
胞子が舞い上がらないよう朝のうちに拭き掃除を
朝起きてすぐ掃除をすること。つまり、カビは空気中に漂っていますが、夜間空気の流れがなくなると床に落ちます。落ちたカビの胞子がまた空気中に舞い上がる前、朝起きてすぐに掃除をすると良いでしょう。
その際掃除機ではカビの胞子がフィルターを通って空気中に戻ってしまいますので、まずは濡れた雑巾や使い捨てのウェットシートなどで拭き掃除をして、その後掃除機を使うこと。ただし、花粉を取り除くフィルターがついたものであれば、掃除機だけでも大丈夫です。高い場所のホコリを払う場合、吸着するタイプのハンディーモップ以外は胞子が舞ってしまいますので要注意です。
使い捨てシートを使ったら袋に入れて
雑巾で拭いた際、洗うと雑巾についた胞子が排水溝に流れるので、排水溝もよく流すように心がけましょう。使い捨てのウェットシートはビニール袋などに入れて捨てます。そのまま捨てるとシートが乾燥した時、そこからカビの胞子が空気中に戻ってしまいます。
ふきんは電子レンジで殺菌&乾燥
台所のふきんもきちんと乾燥させましょう。湿ったままにしておくとカビや細菌が繁殖しますので、使った後はきれいに洗い、熱湯をかけるか電子レンジを使うと温度が上がって殺菌できます。
カビ=汚れ、という認識の人がほとんどだと思いますが、人に危険を及ぼすカビもあるのでしょうか。
肺炎の原因となるカビ「アスペルギルス」
病気などで免疫が落ちている方は、肺に感染するカビ「アスペルギルス」に気をつけましょう。このカビは自然界の中では土の中に生息しています。土ぼこりとともに家庭内に入ってきて、エアコンのフィルターや家具の裏にたまるのです。
免疫の弱い方がアスペルギルスを吸い込んでしまうと肺炎を起こします。健康な方であれば問題はありませんが、結核など肺の病気の経験がある方やタバコをたくさん吸う方などは肺に傷が付いている可能性が高く、その傷の部分にカビがつくことがあります。新型コロナウイルスに感染した方も、肺にダメージが残っていると将来的にはカビによる肺炎のリスクが高くなると言えます。
お風呂場に生息し、傷から入り込む「エクソフィアラ」
もう一つ危険なカビとしてあげられるのが排水溝などに生息する「エクソフィアラ」というカビです。このカビはアルカリを好み、お風呂場のせっけんのかすなどをエサに繁殖します。お風呂場に生える黒いカビの一種で、皮膚の傷から体内に入る可能性があります。
感染するとまずは皮膚で炎症を起こし、その後血流に乗ると脳やほかの臓器に転移する可能性があります。植物につくこともあるカビですので、棘を刺してしまった時などは、もし炎症が起きたらすぐに病院に行きましょう。菌が脳にまで感染すると薬が効きにくく、最悪の場合亡くなる可能性もあります。予防のため、お風呂場の掃除やガーデニングの際には手袋をすることをお勧めします。
生活面での留意点はよくわかりました。ところで先生はなぜカビ研究の道に入られたのでしょうか?
大学時代に授業で「微生物の持つ無限の可能性」という言葉を聞いて、微生物の研究室に入ったのがきっかけです。そこでカビをテーマとして扱ってから研究が始まりました。
薬には天然物から作るものと化合物を合成するものの二種類があります。最近は技術が進み効果がある程度予測できるため、既存の薬の効果を上げる場合は合成の方が向いています。しかし、カビなどが産生する天然物は人が考えつかないような化学構造をもつことがあります。全く新しい構造を見つけるときには天然物が適しているのです。
先生は長年カビの研究をされてきたわけですが、その面白さというのはどのようなところにあるのでしょうか。
どの研究も同じだと思いますが、新しいものを見つけることですね。今扱っているのは病原性のものですが、新しい発見をしたいと常に考えています。さらにそれが人の役に立つような技術に繋がり、人の健康に貢献できるといいな、と。
それから現在は遺伝子で判別することも多いのですが、カビを顕微鏡で見ると実に多様な形をしています。皆さんが花を見るのと同じように、その美しい形を見るというのも楽しみの一つです。
先生が所属されている真菌医学研究センターについて教えて下さい。
千葉大学の真菌医学研究センターは、国内において病原性のカビをもっとも多く集めています。他にカビの保存機関としては、経済産業省所管の製品評価技術基盤機構 バイオテクノロジーセンター(NBRC)や、理化学研究所にも同様の施設がありますが、そちらは有用なカビが中心です。当センターは病原性のあるものを中心に集めています。
センターでは千葉大学医学部附属病院と連携し、患者さんの検体から病気の原因菌を分離、同定(分類上の所属を決めること)、どのような薬が効くかを調べたりしています。こうした活動の中で新しいカビが発見されることもあります。このようにして病院から集まった病原菌は、保存して研究リソースとして活用したり、ほかの研究機関の研究者に提供しています。提供した病原菌は、新しい薬の効果の評価や新しい代謝産物の探索などに使用されています。
私たちの生活や健康を守るために大事なセンターなのですね。最後に、今後どのような活動をしていくかをお聞かせください。
現在、長崎大学を中心とした研究グループで、スーダンの皮膚病について研究するプロジェクトに参加しています。スーダンでは現在でも裸足で生活している人が多く、カビを原因とする皮膚病に足から感染する方がいます。その原因菌を迅速に同定することが私たちの役割です。私たちは炎症を起こした皮膚から直接菌を検出する方法を探しているのですが、将来的にはこの技術を現地に移管し、医療現場でこの菌を迅速に検出できるようにすることが目標です。
実は現在、国内でもカビを扱える人材は減少しています。そのため、講習会などを通じて臨床検査技師や内科医、皮膚科医の方、また学生に技術の継承を行っています。今後も、今までやってきたことの延長線で人々の健康に寄与すると同時に、こうした人材育成にも力を入れていきます。
本日はどうもありがとうございました。