※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです
大規模災害発生時、被災地に入って活動する「心」の専門部隊がある。DPAT・災害派遣精神医療チーム※である。千葉大学は2011年の東日本大震災にこころのケアチームを派遣したが、その後2019年には病院内にDPATチームを結成し、国の主導で結成されたDPATにも参加している。
千葉大学災害治療学研究所・災害メンタルヘルス研究部門は、このような活動や臨床での実態を踏まえつつ、災害時の心の動き・心の向き合い方についての研究を重ねている。その武器のひとつとして認知行動療法がある。この分野において第一線で活動を牽引する災害メンタルヘルス研究部門長/千葉大学社会精神保健センター長の伊豫雅臣教授に、災害時の精神医療について支援の意義と研究の展望をうかがった。
※DPAT(Disaster Psychiatric Assistance Team: 災害派遣精神医療チーム)
自然災害や航空機・列車事故、犯罪事件などの集団災害の後、被災地域に入り、精神科医療および精神保健活動の支援を行う専門的チーム。活動は班単位で行われ、1班は精神科医師、看護師、業務調整員、保健師等で構成される。発災後48時間以内に先遣隊が病院単位で組織され、被災地の医療機関を支援しつつ、ニーズアセスメントを行う。大規模災害の場合は数週間から数か月間、都道府県等で組織された活動班が1週間程度で交代しながら活動する。
急性期・慢性期の災害対応を精神面から支える
―災害時に精神医学の側面から支援する活動について教えてください
災害などの非常事態が起きると、精神活動は時間の経過に伴い、大きな波を描くように変化します。
災害発生直後から数日の超急性期・急性期は、急性ストレスがかかり、適応障害や不安、心身症、既往症状の悪化、悲嘆反応などがみられます。このような災害特有のニーズが急上昇する一方、地域内の精神保健医療活動は被災により医療機関の機能が大きく低下します。そこにDPATが入り、地域の精神医療体制を支えつつ、急増する被災者の精神的ニーズに対応します。
―大規模の災害では、被災の影響は長期にわたります。中長期の精神医学的な支援はどのようなものがあるのでしょうか
大規模災害の被災地では、避難所生活など助け合いが進み被災者同士での結束が生まれるなど一時的に気分が高揚する「ハネムーン期」が訪れますが、その後慢性期になると気分は急激に落ちます。一見健康そうな方でも、悪化した環境の中での生活によりストレスが重なり、抑うつ反応やPTSD、アルコール依存、自殺企図などが引き起こされる「幻滅期」と呼ばれるフェーズが訪れます。ここではストレスマネジメントが重要になります。
DPATはこうした精神衛生面の変化を捉えつつ、地域の精神医療体制が回復し、日常のシステムに戻るよう支援します。東日本大震災では、千葉大学は宮城県東松島市を1年にわたって支援してきました。
また、自然災害だけではありません。新型コロナウイルス感染症の流行拡大では、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客や乗員への精神医療の支援を行いました。
心と体、できごとの受け止め方が掛け合わさって行動が起きる
―同じような状況でも人により、ストレスになる人とならない人がいるのはなぜでしょう
同じできごとであっても苦痛の受けとめ方には個人差があるため、感情の変化も、身体への影響も、さらにはその後起こす行動も人によって異なります。つまりストレスは、一人ひとりの心身の状況と、眼の前のできごとの受け止め方の違いが掛け算のようになって発生しているものといえるでしょう。
逆にいえば、ものの見方や捉え方を変えることができれば、災害という非常時でも落ち着いて向き合える可能性が高まるわけです。
―感染症の流行拡大の状況下ではどのような心の動きがあるのでしょう
感染症では、眼の前で起きている直接的な症状への不安と、見えないところで感染拡大が日常化し、いつ感染するかわからないことに対する不安があります。ここで重要となるのが、社会にあふれる報道やSNSなどの情報をどう受け取るかです。場合によっては、感染拡大を引き起こす行動につながってしまいます。
日本とスペイン、イギリスでの動向をアンケート調査した結果、マスクに対する考え方など、同じウイルスに対する情報でも国によって捉え方や行動が異なることがわかりました。受け取る方法や受け取め方が多面的となっている中、「いかに正しい情報を多くの人たちに伝えられるか」が鍵といえるかもしれません。これは原発事故などによるストレスでも同じです。
認知行動療法にみる災害支援の可能性
―ものの見方や認識のコントロールが、ストレスと向き合うために重要なのですね
このような災害時の心の向き合い方として効果の高い精神療法と考えられているのが認知行動療法です。千葉大学では2000年ごろから本格的な体制を敷いて認知行動療法を取り入れています。
まずできごとに対する自分の受け止め方を知り、適切な対処に必要な情報と捉え方、感情の動きや行動を理解する。この繰り返しにより、自分に合った多面的な対処法を身につけることができるのです。
―防災でよくいわれる備え方で「正しく恐れよう」という言葉があります
恐怖は思考を停止させます。臨床でよくお伝えしているのが「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということわざです。一歩踏み込んで渦中に身を置く自分を認識し、恐怖や不安を理解することで、流れにのみ込まれることなく浮上できる。認知行動療法はそこから始まります。平常時からこのトレーニングを積むことにより、突然の災害でもうまくコントロールできるようになるのです。
心の向き合い方に医療と創薬の技術で挑む
―災害治療学研究所に参画したことで、どのような連携が期待できますか
千葉大学は、医学研究院には精神医学と認知行動生理学の2つの研究室、医学部附属病院には精神神経科とこどものこころ診療部、認知行動療法センターでの診療、そして千葉大学の附属センターとして社会精神保健教育研究センターと子どものこころの発達教育研究センターがあり、精神医療の研究と臨床の場が豊富にあります。また、創薬研究を行っている部門との連携も充実しています。例えば、抗うつ薬のフルボキサミンから新型コロナウイルス感染症の重症化を抑える効果が見つかり、すでに治験の段階に入っています。
災害治療学研究所への参画により、精神医療や創薬などの医学の領域で蓄積した知見と、情報工学や社会科学などこれまでにない領域の専門家の研究が、災害対応という柱で結集しようとしています。さらなる発展が楽しみです。
―研究の今後の展望をおきかせください
特に力を入れているのは子どもと教育です。こどものこころ診療部ではこれまで数千名の子どもたちを診てきましたが、近年とても増えてきていると感じます。
子どもたちの多くは、追い詰められると自分が悪いと受け止めてしまい、助けを求める行動が取れなくなります。不安やストレスへの対処法を早い段階から学ぶことで、思春期・青年期の生きづらさも軽減できるのではないでしょうか。
例えば最近では、千葉大学・子どものこころの発達教育研究センターが中心となり、「勇者の旅」という教育プログラムを展開しています。小学生から楽しくトレーニングを続け、この繰り返しで少しずつ強くなっていく。こうした日常の延長上での認知行動を鍛えることが重要です。
これからも、外部団体や企業との連携も含め、社会教育などさまざまな専門領域と一緒に情報発信を行い、メンタルヘルスを通して社会に貢献していきたいと考えています。
(南部 優子)
連載
災害から心と体を守る「災害治療学」とは?
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