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「貧困」というと過去、あるいはどこか遠い国の話のような印象を持つかもしれない。しかし、現代の日本においても7人に1人の子どもが相対的貧困の状態にあると判明した。さまざまな対策を講じたものの必要な人々に支援が行き届かない現状を変えるべく、国は4月に発足するこども家庭庁に「こども支援局」を設置して貧困対策を強化する。今回は教育学部 安藤藍准教授に、子どもの貧困とその原因、そして現状を把握するべく始まった大規模な横断研究についてうかがった。
存在しないとされていた「子どもの貧困」
―最近耳にする「子どもの貧困」、なぜ今注目されているのでしょうか
日本が経済復興を遂げた1960年代以降、貧困は解決済みとされ、ホームレスなど一部の特殊な環境にいる人々のみの問題とされていました。しかし2008年頃から、再び「子どもの貧困」という言葉がクローズアップされ始めたのです。2000年以降、子どもの相対的貧困率は14%前後を推移しており、「実は日本にも貧困状態の子どもがいた」と、社会にとても大きいインパクトを与えました。
―「相対的貧困」とはどのような状況ですか
相対的貧困とは、等価可処分所得の中央値の半分(2018年は127万円)に満たない世帯を指し、相対的貧困におかれた18歳未満の子どもの存在と生活状況を「子どもの貧困」と呼びます。ただ、私の考える貧困はより広く、経済面だけでなく「その子が持つ力を十分に発揮できない環境に置かれている状況」と捉えています。
貧困の原因と長期にわたる影響
―貧困の背景には、どのような原因があるとお考えでしょうか
貧困のほか虐待や少年犯罪に関連した研究に携わるうちに、子どもにまつわる問題とされていることの根本は同じなのでは、と気づきました。子ども期に養育者に適切に依存できなかったことが、その子どもが大人になるまでにさまざまな点で影響を及ぼすと分かってきたのです。
―「適切な依存」について詳しく教えてください
ここでの依存は「ケアされる」とも言い換えられます。つまり、大人が子どもをケアする金銭的・心理的・時間的ゆとりのない環境や、ケアする人は母親だと自明視されることは、貧困も含めた子どもの問題の根底にあるのではないかと考えています。
単純に「明日食べるものがない」という貧困だけではなく、生活のために長時間労働が必要でゆっくりと話を聞いてあげる余裕がない、あるいは世帯収入は平均的だけれども生活費を主な稼ぎ手から十分にもらえず常にやり繰りに追われている、という環境も含まれます。子どもを育てる営みもまた、社会において十分尊重されていないと感じます。
―ゆとりのない環境ではどのような問題が生じるのでしょうか
金銭的・時間的余裕がなくなると、食事面では炭水化物やファストフードに偏る傾向が見られ、肥満や糖尿病など将来の健康が懸念されます。教育面でいうと、本を買っても読んであげる時間がない、塾に通えず進学・就職やその後の収入に影響を与える、といった問題が生じると推測されます。貧困には諸側面があり、さまざまな経路を経て子どもに長期にわたって影響を蓄積するメカニズムが解明されつつあります。
書籍「母親になって後悔してる」が投げかける母親依存型社会のひずみ
―子育てと仕事の両立は、たくさんの働く母親が悩んでいます
今の日本では、親は子どもに対して第一義的な責任があり、特に母親の養育責任を強く問われます。さらに母親は女性活躍というスローガンの下で仕事もがんばらないといけない。けれども家事分担は不公平なまま――母親の生きづらさが浮き彫りになってきました。
―母親になったとたんに、社会的な「母親像」を強制的に担わされる苦しさが伝わります
ケアを家族に依存する社会=母親依存型とも言えますし、それが日本は特に強くてひずみが生まれています。そのような中で、イスラエルの社会学者オルナ・ドーナトが執筆した「母親になって後悔してる」という本が2022年春に出版され、話題になりました。社会から強制される完璧な母親像に苦しむ女性へのインタビューからなる本書は賛否両論が巻き起こっていますが、母という社会的役割の重責を社会へ投げかける大きなきっかけを生みました。
貧困とジェンダー不均衡の関係も根深く、シングルマザーの貧困率などからは、男女の賃金差や子どもを産んだ女性は依然として正社員を続けにくい、といった労働環境も見えてきます。
多面的な角度から貧困を解明する大型プロジェクト
―お話をうかがっているうちに、貧困がさまざまな要素をはらんだ難しい問題だと気づきました。先生方はどのように貧困問題と向き合っていますか
「貧困」という状態についてはまだまだ議論の余地がある状態です。貧困率という所得面の指標だけでなく、健康、栄養、肥満度、教育格差など多岐にわたる視点から子どもの置かれた状況を包括的に分析し、アプローチすることが必要です。
従来の貧困研究以外の分野でも子どもの貧困に関心がある研究者が増え、複数の分野で横断的・多面的に貧困という事象の理解を深める流れが生まれ始めました。
そのような中で、私もメンバーとして参加している大型プロジェクト「貧困学の確立:分断を超えて」が2022年度の科学研究費助成事業(科研費)・学術変革領域研究 (A) に採択されました。
また2019年には「子どもの貧困調査コンソーシアム」が、子どもの貧困に関する国内の調査研究拠点として設立されました。全国の自治体が行った子どもの貧困の実態調査データの一部をコンソーシアムで一元管理し、プロジェクトで利用可能となりました。地域による貧困の特性など、これまでにない視点から貧困問題を深掘りしていきます。
誰もが生きやすい将来のために
―社会で見逃されてきた問題を掘り起こす、精神的にも大変な研究だと思われます。先生のモチベーションはどこから湧いてくるのでしょうか
私は実証研究を基本としています。特に子どもたちの生活の現場に出て、当事者の声を聴くことを重視しています。貧困や家族に関する問題は見えにくいですし、打ち明けるにはつらい内容も含まれます。声を上げにくい状況で私に話してくれた勇気や機会に応えようという気持ちが、根っこにあるモチベーションです。
もちろん、話してくださった内容はサンプルのごく一部です。その点を理解した上で、浮かび上がってくる普遍性、つまりインタビューした方の後ろにいる、声を上げられない人たちの状況をすくい上げるのが私の役割です。その声を届ける際には統計データも併記します。実際に存在している問題であることを示すためにも、科学的なエビデンスは重要だと考えています。
―先生が思い描く、未来の社会について教えてください
どんな親の下に生まれても、どんな環境にあっても子どもたちの権利(生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利)が守られる世の中になってほしいと思います。子育てをする大人も、ケアすることで苦しい思いをしない社会を作っていかなければいけないですね。子どもの最も身近で重要な人はたいてい親で、国が想定している「標準的な家族」は、正社員の夫と主婦(あるいはパート)の妻と子ども2人であるように思われます。しかし、それ以外にもシングル、代替養育(里親、児童養護施設、養子縁組)、最近では親が同性カップルの家庭など、「多様な」家族の姿が増えてきました。家族ではないが、大切な人だと思えるケア関係だってありますよね。「国の考える標準的な家族像から外れている」ことが、子どもと子育てをしている人が苦しい思いの一因でもあるように思います。
どのような環境でも子どもが健やかに育つこと、ケアする人が尊重され家庭が孤立しなくてもよい社会。そんな世の中に一歩ずつ近づくように、これからもフィールドワークを続け、当事者の声を届けていきたいです。
インタビュー / 執筆
安藤 鞠 / Mari ANDO
大阪大学大学院工学研究科卒(工学修士)。
約20年にわたり創薬シーズ探索から環境DNA調査、がんの疫学解析まで幅広く従事。その経験を生かして2018年よりライター活動スタート。得意分野はサイエンス&メディカル(特に生化学、環境、創薬分野)。ていねいな事前リサーチ、インタビュイーが安心して話せる雰囲気作り、そして専門的な内容を読者が読みやすい表現に「翻訳」することを大切にしています。
連載
子どもの今と未来を拓く
子どもの健やかな成長を支えるための取り組みは欠かせない。現代の子どもたちを取り巻く社会的課題に立ち向かう、千葉大学の研究者による「子どもの今と未来」の研究に迫る。