※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです
千葉大学で唯一、東京都内にあるキャンパス「墨田サテライトキャンパス」を拠点とする「デザイン・リサーチ・インスティテュート(dri)」のメンバーには、工学系のデザイン分野の研究者を軸としつつ、他分野の教員や、学外でデザイナーとして活躍する人々も名を連ねている。driのインスティテュート長である植田憲教授に、背景にある哲学と目指すものを聞いた。
第一線で活躍するデザイナーから、予防医学の研究者まで
――driにはさまざまな専門をお持ちの先生方が参加されていると伺いました。第一線でデザイナーとして活躍している先生もいらっしゃるとか。
driでは、クロスアポイントメント制度を活用して、トヨタ自動車でのデザインの仕事を経て独立された根津孝太特任教授や、建築デザインの世界で活躍されている藤本香特任教授、プロダクトデザイナーの三浦秀彦特任教授など、日本のデザイン界の最前線でものづくりに携わっている方々に実務家教員として参加いただいています。
実際にデザイナーとして働いている方から、大きなデザインコンペに参加したときどのようにチームを作っていくのか、というような臨場感あふれるナマの話を学生が直接聞け、いくらでも質問ができるという環境は非常にぜいたくですよね。
――本業をほかにもつデザイナーや先生は、driで週に1コマか2コマを受け持つといった関わり方ですか?
そういった先生もたくさんおられますが、先ほどご紹介した特任教授の先生方にはコマ単位ではなく、週のうち丸一日はじっくりdriで教育や研究に取り組んでいただいています。東京を拠点とされるデザイナーさんが多いなか、都内にキャンパスを構えたことで千葉大学にお呼びするハードルが下がったことは幸運でした。
――学内でdriでの教育・研究に携わっているのは工学系の先生ですか?
専任教員は私を含め、千葉大学大学院工学研究院に所属しデザインコースの教育・研究を担当していたメンバーです。ただ、driはデザインの教育と研究を、工学だけにとどまらず多様な分野の融合領域にしようという目的で生まれた組織なので、ランドスケープ(景観)研究を専門とする園芸学研究院の研究者や、予防医学センターの研究者もメンバーに加わっています。また、工学研究院のデザイン以外の分野、たとえば建築学や都市環境などの研究者もいます。
――ランドスケープ研究などはデザイン研究と近しい関係だろうと思いますが、「予防医学とデザイン」は意外な組み合わせですね。
予防医学センターの花里真道准教授は、実は建築学の出身なのです。医学研究から得られたエビデンスにもとづき都市・空間をデザインする研究などによって、「医学+デザイン」という新たな分野を切り拓いています。
千葉大学のデザイン研究にはもともと、「クロス・ファータライゼーション(異花受粉)」を求める伝統があります。デザインとは独立したひとつの分野ではなく、ほかのさまざまな分野との組み合わせによって深め、広げていく領域である、という考えです。本学のデザイン教育・研究部門の歴史は100年を超えますが、その伝統がよく現れているのがこの多彩な顔触れだと思います。
100年以上の歴史を持つ、千葉大学のデザイン教育と研究
――100年というと、千葉大学の発足(1949年)より前からということですか?
実は、千葉大学のデザイン教育・研究部門は1921年に設立された「東京高等工藝学校」を母体としているのです。東京高等工藝学校は工学系のデザイン教育研究機関として日本でもっとも長い歴史を持ち、もともとは都内にありました。戦災で千葉の松戸へ移転するなどの紆余曲折があって千葉大学の工芸学部として改組され、後にほかの工学分野も含む工学部として歴史を刻んできました。
せっかく、古巣ともいえる東京都内に拠点を構えることができたのですから、新たに得たフィールドだからこそ起こせる異花受粉を大事にしたい。デザイナーさんを教員としてお迎えするのはもちろん、driと民間企業との共同プロジェクト立ち上げにも力を注いでいます。
前回にもお話ししましたが、オフィス家具メーカーの株式会社イトーキさんと共同開発した可動式のパーテーションはその一つです。イトーキさんは引き続きキャンパスの一角を拠点としてdriと共同研究を進めてくださっています。
そのほか、ヤマハ株式会社さんヤマハ発動機株式会社さんも楽器デザインやオートバイデザインの共同研究に乗り出してくださいました。将来、デザイナーを目指す学生にとっても、学生時代から企業の開発の方と直接やりとりができる貴重な機会となっています。
墨田区のバスの観光活用を目指したデザイン・プロジェクトも
誤解されがちですが、デザインとは、図案をつくったり物の見た目をきれいに整えたりするだけの仕事ではありません。デザインとは、人間の生活をより豊かにするための営みであり、デザイン研究とはそのための「実践的な科学」です。
自由で柔軟な発想はもちろん大事ですが、それだけでは十分ではなく、社会の課題を発見し、解決する方法を見いだすことがデザインの重要な役割の一つだと私は考えています。
ですから、地元の墨田区を「フィールド」として考え、地域の課題を見つけだしたり、解決の方策を考えたりすることは、デザインの研究者にとっても学生にとっても欠かせない活動です。
たとえば、2021年度には区内を走るオンデマンドバスを観光客に活用してもらうために、より認知されやすいラッピングのデザインや乗降スポットの標識デザインを考え、提案しました。
ただ、コロナ禍の最中ということもあり、社会で人々を巻き込みながらできることには限りがあったのも現実です。これからが本番だと思っています。
埋もれつつある文化を記録し、活用するデザイン
――植田先生のご研究についてもお教えください。
千葉大学におけるデザイン研究には「異花受粉」の伝統があるとお伝えしましたが、私の研究では、デザインと文化人類学が組み合わさっています。
研究室の名称は「文化デザイン計画研究室」。ここでいう文化とは「新しいもの」とか「芸術・芸能」という意味ではなく、「その土地の影響を受けながら形作られてきた人々の暮らし方や生活の工夫」を指しています。そうした文化を知り、埋もれそうになっているものであれば掘り起こし、あるいは困っていることがあれば解決策を提案することが研究です。
まだ墨田区で具体的な研究成果を上げるまでにはいたっていませんが、これまでの仕事を一つご紹介するなら、千葉県の漁村に伝わってきた「万祝(まいわい)」に関するプロジェクトがあります。
万祝とは、豊漁だった年の終わりに、船主や網元がオリジナルの柄で染め物をつくって漁師の家々に配り、それを各家で仕立てた衣服です。200年の歴史がある文化ですが、残念ながら現在は、この染め物を作れる工房もごくわずかになってしまいました。万祝はいまや博物館や美術館に収蔵されるほど希少な、文化財のような存在です。
そこで私は万祝の染めに使われた型紙をお借りして撮影し、二次元データに変え、貴重な文化を記録・保存するとともに、その柄を用いた商品パッケージやステーショナリーのデザインを提案しました。また、デジタルデータを用いて作成した型紙を万祝のつくり手に提供するなどのものづくり支援も行ってきました。こうした、暮らしの観察から記録・保存、そして活用までの実践が私の研究です。
ミュージアムショップなどに置かれた万祝のグッズを見た地元の人が、「懐かしいな」とか「何もないと思っていたわが街にもこんな財産があるんだな」という思いを抱かれたという話も耳にしました。万祝の活用は大きな経済的利益をもたらすわけではないかもしれませんが、住む土地への愛着といった心理的な豊かさや地域の活性化には貢献できたと思います。
――「デザインができること」の幅の広さがよくわかります。
そうですね。driに来る学生さんにはさまざまな教育・研究活動をしている教員の授業を受けたり、墨田区というフィールドに出て行って観察したり、自分で手を動かしてみることによって、自分なりのデザイン観を打ち立てていってほしいと思っています。
そして、困りごとを抱えた地域の方々、共同開発の種をもつ企業の方々にも気軽にdriにお声をかけていただき、つながりをもつことができれば幸いです。
インタビュー / 執筆
江口 絵理 / Eri EGUCHI
出版社で百科事典と書籍の編集に従事した後、2005年よりフリーランスのライターに。
人物インタビューなどの取材記事や、動物・自然に関する児童書を執筆。得意分野は研究者紹介記事。
科学が苦手だった文系出身というバックグラウンドを足がかりとして、サイエンスに縁遠い一般の方も興味を持って読めるような、科学の営みの面白さや研究者の人間的な魅力がにじみ出る記事を目指しています。
撮影
関 健作 / Kensaku SEKI
千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。
連載
デザインのチカラ
千葉大学墨田サテライトキャンパスに設置された、未来の生活をデザインする実践型デザイン研究拠点「デザイン・リサーチ・インスティテュート(dri)」を拠点に、さまざまな専門分野でデザイナーとして活躍する先生方の研究・活動を紹介する。
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#1
2023.06.26
「まちと一体化したキャンパス」千葉大学dri (前編) ~建物全体を“デザイン実験空間”に
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#2
2023.07.03
「まちと一体化したキャンパス」千葉大学dri (後編) ~“異花受粉”を起こす新たなデザイン研究センターへ
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#3
2023.09.04
子どもが夢中になれるあそび場づくり ~創造性を育む遊具デザイン
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#4
2023.09.25
だれもが生きやすい環境をデザインで実現~五感をシミュレートする漢方研究所
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#5
2023.11.07
さまざまな生物が共存する都市の創造~時とともに移ろう景観を
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#6
2023.11.27
モビリティがつなぐ人と社会~デザインがかなえる、やさしい「移動」のかたち
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#7
2024.01.09
「さわれる仏像」?地域の活性化に結び付く“デザインの実践” ~人々とともに、生活に息づく「資源」を発掘