※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです
100周年を迎えた千葉大学工学部に、デザイン教育・研究の発展を目的とした墨田サテライトキャンパスが誕生した。柏の葉キャンパスにあった柏の葉診療所も移転し、新たに「千葉大学医学部附属病院東洋医学センター 墨田漢方研究所」として2023年1月に生まれ変わった。グランドコンセプトは「五感をシミュレートする漢方研究所」。
設計を担当した環境デザイン研究室の今泉博子助教は屋内に墨田の路地空間を再現した。そこには東洋医学と心身との深いつながりがあるそうだ。
千葉と墨田、ふたつのまちから得た視点
―墨田漢方研究所プロジェクトはどのようにスタートされましたか?
まず墨田区の土地や風土について、現地を調査してひもといていきました。墨田区は大都会の下町です。若い人にとっては便利だし、高齢者も愛着を持っています。三世代にわたって住み続けている方も珍しくありません。また、工場や店舗を自宅近郊で営む人も多く、自分たちの住む地域に責任を持って、積極的にまちづくりに関わっている姿勢に感銘を受けました。「下町のよさ」は自然に醸し出されたのではなく、そこに住んできた人が大切に育んだ産物だったのです。
一方、私が生まれ育った千葉市は東京に通勤する人が多いため、自分が住んでいる地域の平日昼間の様子を認識している人の割合は、墨田と比較するとどうしても少なくなります。自然とまちづくりに対する意識も、墨田とは異なると考えられます。
千葉市で試みたイベントでは住民の関心が薄く、私たちの関わり方がよくなかったのかと反省したことがありました。しかし、墨田で同じことを試してみると手応えを感じたのです。このことから、交流の場やイベントを立ち上げればまちづくりにつながる、という単純なものではなく、土地の成り立ちや歴史、住む人のライフスタイルをていねいに調査した上で、ふさわしい手法を選ぶ必要があると気づくことができました。
「五感をシミュレートする漢方研究所」とは
―墨田漢方研究所プロジェクトでは、どのような点を重視されましたか
墨田漢方研究所が設置された墨田サテライトキャンパスは、もともと「すみだ中小企業センター」というものづくりのまち・墨田における中小企業の経営力・技術力向上のための産業支援施設でした。図書館も併設され、経営者からお子さんまで区民のみなさんにとって大切な場所だったのです。その後継となる建物ですから、今まで以上に地元に愛される施設にしよう、とビジョンを掲げました。
墨田漢方研究所のデザインテーマは「未来に継承したい墨田の路地空間」と設定し、人の存在をほどよく感じられる路地のような細長い導線、江戸文化を想起させる柔らかな和の雰囲気をデザインのベースに置きました。
東洋医学では人と環境、こころとからだは深く結びついていると考えます。建物の外と内を切り離さず、日常と相関した空間を再現することで、問診から体調の変化に気づきやすくなると考えました。
まちの成り立ちからていねいに調査され、東洋医学と融合させて生まれたデザインなのですね。医療施設にはめずらしく、カフェのようなほっとくつろげる雰囲気です。
墨田サテライトキャンパスの内装は、開放感を出すために、天井板を貼らない「躯体表し(くたいあらわし)*」という仕上げが選ばれています。一方医療施設では、患者様がスタッフと安心してコミュニケーションを取れるよう音のプライバシー保護が重要です。墨田漢方研究所の服薬指導室では、空間の開放感を失うことなく防音対策するという課題に対し、「サウンドマスキング*」と「調音家具*・遮音カーテン*」を組み合わせる方法を考案し、設計しました。
*躯体表し:壁紙や天井板などで隠されている柱や梁(はり)などの構造体を露出させる仕上げ。換気ダクトや電気配線がアクセントになり、天井高が高くなることで空間の開放感が得られる。
*サウンドマスキング:墨田サテライトキャンパス内で共同研究を行うヤマハ株式会社の製品を使用。
*調音家具:壁面からの反射音の質を改善する効果を持つ家具。余計な反射音を低減させるだけでなく、音を自然に散乱させるため、聞き取りやすく話しやすい環境をつくる。墨田区にある日本音響エンジニアリング株式会社との共同研究で開発した。
*遮音カーテン:生地のすき間を埋めて、空気の通り道を減らすことで音を遮る効果を持つカーテン
サウンドマスキングとは、もともと部屋にある音(エアコンや人の話し声)を人工的に付加して、会話の外にいる人に対して「話し声は聞こえるが内容は理解できない」という環境を作り出す技術です。マスキング音が会話の中にいる人に与える影響を低減するために、調音家具を設置したところがポイントです。竣工後も、休診日に服薬指導室を用いて音響実験を実施しており、会話を行いやすくする調音家具の最適な配置などについて、さらに研究を進め明らかにしていくつもりです。
―角がなく、柔らかな曲線が印象的ですね
墨田漢方研究所では患者様の五感を大切にしています。体調が優れない方でも安心して過ごせるよう、柔らかく、温かみのある照明や曲線を生かした家具を採用して医療施設の無機的なイメージを刷新しました。エントランスには漢方の原料になる生薬を展示して、わくわくする学びの要素を取り入れました。生薬の香りは最も原始的な感覚といわれる嗅覚を刺激します。
今後は1階のパブリックエリアに漢方カフェをオープンし、誰もが立ち寄りやすい場所をつくりたいと考えています。墨田漢方研究所の先生監修のもと、共同で漢方茶のレシピ開発などの構想を練っており、運営はカフェ設計・経営に関心のある学生が、自由にアイデアを試せる実践の場として活用できたらよいなと考えています。墨田サテライトキャンパスの屋内で植物工場技術を用いて栽培したハーブや、屋上で採れたハチミツも登場させたいですね。
多様な人々の生きやすさに向けられたデザイン
―モノや建物のデザイナーではなく、「環境デザイン」の道を選ばれたのはなぜですか
2013年に手がけた花の形をした「コミュニティプランター*」は、プランターというモノでありつつ、「人と人とのコミュニケーションを大事にした園芸活動を行ってほしい」という具体的な使い方を示す形状にしています。「作って終わり」ではなく、使う方の日常がよりよくなるような、生活する環境自体をデザインしたいと考えています。
*コミュニティプランター:清水忠男千葉大学名誉教授他とともに株式会社中村製作所との共同研究により開発・製作。国際ユニヴァーサルデザイン協議会 IAUDアウォード2013(IAUDアウォード プロダクトデザイン部門)受賞。
「仲間との交流もできる園芸が大好きだけれど、年齢を重ねるにつれ腰痛や体力低下のため作業がつらくなってしまった」というお話をうかがって、腰をかがめず作業しやすい高さのプランターが求められていると感じました。そこで、高齢者施設でグループレクリエーションとして、種まきから収穫までのプログラムを自分で計画・実施し調査してみると、作業面の高さだけでなく視線の交わりや道具の置き場所など、年齢や障害を取り払い、誰もが一緒に園芸活動を楽しめるようにするためのデザインの形が見えてきました。
―多様な人々の生きやすさを考え抜かれて、ひとつのプランターをデザインされたのですね
デザインする時は、対象をじっくりと観察して「こうすれば、もっとよくなるのにな」という解決案を引き出していきます。しかし、研究室にこもっていたら課題には気づけません。そういった点からも、dri*という研究と実践の場が誕生したことは非常に心強く感じています。実際に使う人の声をダイレクトに聞けますし、企業との共同研究の拠点にもなります。
dri:デザイン・リサーチ・インスティテュート 千葉大学墨田サテライトキャンパスを拠点とする実践型デザイン研究に特化した研究センター
デザインは夢を描ける仕事ですが、使い手の日常に溶け込み、使い続けてもらうことが大切だと考えています。driは講師陣も実際にものづくりに携わっているメンバーがそろっており、夢で終わらない実践的なデザインを学ぶことのできる希少な場です。ぜひあなたのアイデアを形にして、よりよい社会の実現をかなえませんか?
インタビュー / 執筆
安藤 鞠 / Mari ANDO
大阪大学大学院工学研究科卒(工学修士)。
約20年にわたり創薬シーズ探索から環境DNA調査、がんの疫学解析まで幅広く従事。その経験を生かして2018年よりライター活動スタート。得意分野はサイエンス&メディカル(特に生化学、環境、創薬分野)。ていねいな事前リサーチ、インタビュイーが安心して話せる雰囲気作り、そして専門的な内容を読者が読みやすい表現に「翻訳」することを大切にしています。
撮影
関 健作 / Kensaku SEKI
千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。
連載
デザインのチカラ
千葉大学墨田サテライトキャンパスに設置された、未来の生活をデザインする実践型デザイン研究拠点「デザイン・リサーチ・インスティテュート(dri)」を拠点に、さまざまな専門分野でデザイナーとして活躍する先生方の研究・活動を紹介する。
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#1
2023.06.26
「まちと一体化したキャンパス」千葉大学dri (前編) ~建物全体を“デザイン実験空間”に
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#2
2023.07.03
「まちと一体化したキャンパス」千葉大学dri (後編) ~“異花受粉”を起こす新たなデザイン研究センターへ
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#3
2023.09.04
子どもが夢中になれるあそび場づくり ~創造性を育む遊具デザイン
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#4
2023.09.25
だれもが生きやすい環境をデザインで実現~五感をシミュレートする漢方研究所
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#5
2023.11.07
さまざまな生物が共存する都市の創造~時とともに移ろう景観を
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#6
2023.11.27
モビリティがつなぐ人と社会~デザインがかなえる、やさしい「移動」のかたち
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#7
2024.01.09
「さわれる仏像」?地域の活性化に結び付く“デザインの実践” ~人々とともに、生活に息づく「資源」を発掘