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PPIと研究公正~社会全体で考える新たな研究のカタチ 千葉大学 大学院国際学術研究院 准教授 東島 仁[ Jin HIGASHIJIMA ]

2024.08.26

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※記事に記載された所属、職名、学年、企業情報などは取材時のものです

どんなにすばらしい目的で行われた研究であっても、それがすべての人にとって良い影響をもたらすとは限らない。むしろ、ヒトを対象にした研究や技術開発に由来する問題を放置すれば、社会に大きな悪影響をもたらすこともある。研究と社会がより良い未来をつくるためには何が必要なのか。「PPI」と「研究公正」という2つの軸からこの問いについて考えてきた大学院国際学術研究院の東島仁先生にお話を伺った。

「研究への患者・市民参画(PPI)」とは?

―どのような研究をなさっているのでしょうか?

一言でいうと“良い研究”についての研究をしています。「良い研究とは何か」を考えるにはいろんなアプローチがありますよね。哲学的に「“良い”とは何か」「研究の理想的な形とはどういうものか」を研究している方もいらっしゃるでしょう。私自身は、「社会にとって良い研究とは何か、そうした研究が生まれる環境をつくるにはどうしたらいいか」を研究しています。

たとえば医学研究なら、できるだけ社会に大きな問題を生み出さず、かつ、大きな成果をもたらすものが「良い研究」と言えるかもしれません。ただ、私が「社会にとって良い研究」を定義しようとしているのではなく、それを社会の皆さんで考える場やしくみをどうつくれるかを考えています。

―具体的にはどのようなことをされているのですか?

2つの軸足があり、一つは生命医科学系の研究開発における「研究への患者・市民参画(Patient and Public Involvement: PPI)」という領域で取り組んでいます。もう一つは分野を問わず研究全般の「研究公正」という視点での研究です。

―「PPI」とは聞き慣れない言葉ですが……。

昔は「医学研究をいかに良くするかは研究者や医療従事者が考えるものである」、すなわち、「研究される側、医療を受ける側が口をはさむものではない」という考え方が優勢でしたが、欧米を中心に、「患者や市民の視点や価値観を踏まえて研究を実施していくことが研究を良くしていく」という考え方に変わってきたところから生まれた言葉です。 ですから、患者や市民が研究の対象になっている、また、医療者と患者が対話しているというだけではPPIとは言えません。その後の研究開発に、患者・市民の視点や価値観が反映されるしくみが必須です。

日本では、2017年に医療分野の研究助成等を実施する機関である日本医療研究開発機構(AMED)で、PPIの動向調査委員会が立ち上がりました。私は委員の一人として国内外の状況を調査し、AMEDのPPI定義やPPIガイドブック の作成に携わりました。

PPIガイドブックができたのが2019年なので、一般社会でPPIという言葉を知っている人は少数派でしょう。ただ、PPIという言葉ができる前から、そのようなことを意識して研究や医療の現場に立ち続けてきた方、患者・当事者としてそれを訴えてきた方は日本にもたくさんいます。

さまざまな立場の人と、現在だけでなく将来も見据えて研究について考える

―これまでは研究者、医療従事者が「良い研究とは何か」を決めてきたけれども、「患者さんにとって良い研究とは」を考えるようになってきた、ということなのでしょうか?

そうですね、ただ、「患者さんのための研究」という一言でくくれるかというと、そうでもありません。だれの目線で見るかによって物事の意味は変わります。たとえば、生まれてくる子の疾患や障害をなくせる遺伝子編集技術の開発を喜ばしく思う人もいれば、その疾患や障害を持つ患者さんの中には自身の存在を否定されるように感じる人もいるでしょう。

また、いくら患者さんのためになる治療法だとしても、治療費がとてつもなく高額になる場合、どこまで健康保険で負担できるか、といった社会全体での議論も大事ですよね。さらに、現在の患者さんや社会のことだけでなく、将来のことも視野にいれる必要があります。

重要なのは、さまざまな視点やバックグラウンドを持つ人に参画していただき、どのような形で研究が進められ、その成果がどのような形で社会に受け止められるとよいのか、そのために何が必要かを多角的に議論していただくこと。PPIとは、医学研究から生まれる倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Implications: ELSI)を軽減し、そして出てきたときにすばやく対応するための、ひとつの“装置”だと考えています。 私はいま、PPIを研究する者として、参画の場をどのようにつくるか、どのようにしくみとして定着させるかを他の研究者や現場の方、患者・市民の方とともに考えたり実践したり試行錯誤しています。

科学の信頼性を損なう、盗用・捏造・データ改ざん

―もう一つの「研究公正」に関する研究とはどのような研究なのでしょうか。

盗用、捏造、データ改ざんが行われていたら、「良い研究」とは言えませんよね。出てきた結果が信頼できないだけでなく、研究に協力してくれた人のお気持ちや労力を無にしてしまい、研究に使われた資金も無駄になってしまいます。さらに、研究界全体への社会の信頼が揺らぎ、研究成果が生かされなくなるかもしれません。そのような研究を減らすにはどうしたらいいか、公正な研究が行われるにはどうしたらいいかを考える研究です。

私はもともと実験心理学を専門としていました。ヒトや動物の行動や脳の働きを実験によって明らかにしようという分野です。実は心理学は、論文に書かれている通りに実験を行っても論文と同じ結果が出ない、つまり「再現可能性が低い」研究が多いことでよく名前が出る分野でもあります。

原因の一つが、心理学だけで行われているわけではありませんが、心理学で多いとされる「後付けの仮説」と呼ばれる手法です。Aという仮説を検証するために実験を行ったとします。しかし結果としてAは実証されなかった場合、出てきた実験データと整合するような仮説Bをつくり、最初からBのために実験を行ったかのように論文を書くのです。

後付けで理屈をつけるのは簡単なことで、本当に仮説を検証したことにはなりません。しかしそのような論文も、再現性の高い他の論文と同様に世界中で参照され、結果として科学研究全体をゆがめてしまいます。 ところが、そうした操作を問題とは意識しない研究者や、良くないとわかっていても成果をあげなくてはと焦るあまりに使ってしまう研究者もいるのが現実です。

“良い研究”が評価されるしくみをつくろう

―しかし、出版された論文を見ただけでは、それが後付けの仮説かどうか判別するのは難しそうです。見つからないものを減らす手段はあるでしょうか?

まずは、研究者を育成する段階で「良い(もしくは悪い)研究手法」の教育が必要ですが、その前に教える側の研究者が意識をアップデートできていないといけません。ですが、実際のところは研究者によってかなりの差があります。

もうひとつは、しくみを整えることです。研究者が成果を焦るあまりに手を出してしまうのだとしたら、「検証されなかった」ということを、失敗ではなく新たな知見として論文にして発表でき、評価されればいいのです。ある仮説が検証されなかったとわかることも科学の成果ですから、それを発表できる雑誌を増やすことも一つの方法です。

また、仮説と研究計画を実験開始より前に登録しておく仕組みも広まってきています。登録していた人の論文は、後付けでないことが確実にわかります。

―事前登録が論文投稿の規定に入っていれば、なお実効的ですね。

そういう学術誌も増えてきています。ただ、実はそれ以前に、望ましい研究のあり方、不適切な研究のあり方が分かりづらい状況も問題です。そのような現状を変えるべく、何が盗用に当たるのか、どんな情報を隠してはいけないのかといった学術論文のルール(投稿や著者規定)の研究にもチームで取り組んでいます。

―今後の展望をお聞かせください。

PPIにせよ、研究公正にせよ、まだよく知らない、あるいは問題だと思っていない人が多いのが実情です。「何をどうするか」の前に「どう知ってもらうか」、PPIならば「どうしたら参画してもらえるか」が大きな課題です。千葉大学の学生に講義でお話しすることもささやかな一歩になればと思っています。

インタビュー / 執筆

江口 絵理 / Eri EGUCHI

出版社で百科事典と書籍の編集に従事した後、2005年よりフリーランスのライターに。
人物インタビューなどの取材記事や、動物・自然に関する児童書を執筆。得意分野は研究者紹介記事。
科学が苦手だった文系出身というバックグラウンドを足がかりとして、サイエンスに縁遠い一般の方も興味を持って読めるような、科学の営みの面白さや研究者の人間的な魅力がにじみ出る記事を目指しています。

撮影

関 健作 / Kensaku SEKI

千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。

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