人手不足に悩む農業を救う存在が障害者*と聞くと驚くだろうか。農業と福祉が出会う農福連携。それは食を通して誰もが尊厳を持って自分らしく働き、自立して暮らせる社会へとつながる道だ。今回は大学院園芸学研究院の吉田行郷教授に、農福連携の今と未来への広がりを伺った。
*「日々の暮らしの中で、ある特性を持つことによりさまざまな不利益や差別、困難に直面する状況が『障壁』や『大きな壁』といえる」という吉田教授の考えから、本記事内でも「障害」という表記を使用した
成長の機会を提供する農福連携
―農福連携とは、どのような取り組みでしょうか?
農福連携とは、障害者が農業分野での活動を通じ、自信や生きがいを持って社会参画を実現していく取り組みです。障害者を新たな働き手と迎え入れ、農業側の課題である担い手不足や高齢化を解消する可能性も持ちます。農には6次産業*も含み、福には障害者だけでなく、認知症高齢者やひきこもり状態にある人など社会的に生きづらさがある人々も含まれます。
*農家や水産業者(1次産業)×加工(2次産業)×販売・サービス(3次産業)を組み合わせたビジネスモデル。例えば、農家が農作物を加工して食品にし、それを消費者に直接販売したり、観光や体験型サービスに提供したりする取り組み。
―農業と福祉の連携はどのような意義があるのでしょうか
障害者が従事する仕事を思い浮かべてみてください。多くは室内での単純作業がメインで、得意・不得意は考慮されません。しかし、農園には屋外でダイナミックに体を動かす仕事から屋内での細やかな仕事まで多種多様な業務があり、特性に合った仕事を選べます。また誤解されがちなのですが、知的障害(精神遅滞)がある方は脳の発達が遅いだけで、実はゆっくりと成長しています。農園は、障害があっても一歩ずつスキルアップして成長できる環境です。
―農福連携に興味を持たれたきっかけを教えてください
高校生くらいの頃から、人間にとって一番大事なものは食べ物だと思い、食料に関わりたいと考えて農業系に進むことを選択しました。入学した東京大学の理科二類で物理や化学といった典型的な理系の授業を受けるうちに、「実験も好きになれず、一つの物事を深く掘り下げる情熱もない。どうも自分は典型的な理系ではない」と自覚しました。
一方で、文理融合分野の農業経済学に興味を持ちました。農業は天候などの影響を受けるため理論がそのまま当てはまらないことが多く、その不確実性に面白さを見いだしました。文理をはっきり分けられない幅のある学問のあいまいさが、私にはとても居心地が良かったのです。
―どのような経緯で農福連携の研究へとつながったのでしょうか。
卒業後は日本の農業政策など、ダイナミックに国を動かす仕事に関わりたくて農水省を選び、米や小麦の流通制度の改革や農村活性化、国際協力等の仕事に従事しました。ただ、大きな仕事では関係者の調整などあくまでも裏方業務で、自分のアイデアを実行する機会はなかなか得られませんでした。
ちょうどその頃、多忙な中で授かった子どもが発達障害の一つである自閉症スペクトラム症であることが分かりました。けれど、仕事は多忙で育児は妻に任せきり。こんな生活を続けていたら家庭崩壊が目に見えています。
そこで育児が落ち着くまで、時間の融通が効く職種へ異動を願い出ました。もともとマクロな視点からの研究には関心があったこともあり、マクロな政策研究を行う農林水産政策研究所に異動し、行政官として関わっていた国産小麦の研究を始めました。
研究が軌道に乗ってきた頃、ある日テレビで社会福祉施設が行う農業を初めて目にしました。重めの障害のある方がイキイキと楽しそうに従事されていて「こんな農業の世界があるのか!」と好奇心が湧きました。仕事で農業に関わり、障害のある子どもを持つ自分なら両方の世界がわかる、何か役立てるのではないかと思いました。
―農福連携の取り組みは既に広がっていたのでしょうか?
2007年は農福連携という言葉はなく、障害者が働く農園が全国に散在していた程度です。当時はまだ障害者が農業に従事できるとは思わない農業関係者も多かったのです。そこで人手不足が懸念される農業において、多様な農業の担い手の確保の対象として、女性や高齢者に加え「社会福祉法人やNPO法人」の可能性という切り口でフィールドワークを行い、農業に取り組む社会福祉法人等について事例研究を始めました。
すると、そうした取組では農業サイド、福祉サイドの双方にメリットがあることが分かりました。自分の特性に合ったやりがいのある仕事に従事し、能力を認められて収入が向上する障害者もいます。農家から見ると、人手不足の課題が解消し、障害者でも働きやすいように働く環境を整えることで、経営の安定や発展に効果があります。成功ケースを広めるためには、農福連携の発展段階、実施地域、障害特性に応じた細やかな支援が必要なことが分かりました。一方で、ミスマッチや障害者ファーストでない取組の出現など、問題点も浮かび上がってきました。現在、どのような支援が必要か解明を進めています。
農福双方を理解できる人材育成が拡大のカギ
―農福連携をもっと広げるポイントは何でしょう
農業と福祉の双方を理解して農福連携を実行できる人材が不可欠です。千葉大学環境健康フィールド科学センターでは、農業、福祉、マーケティングをバランス良く含む、実践的な「多様な農福連携に貢献できる人材育成プログラム 」を開催しています。私自身も、自ら講義を担当するだけでなく、この人の話をぜひ聞いてほしいという講師のスカウティングを担当しています。福祉事業所の職員を含め、障害者と一緒に農業を始めたい方、障害者を受け入れたい農家、双方をつなげるコーディネーターを目指す方はもちろん、農業と福祉というキーワードに興味を持った方や、自分の将来の可能性を模索したいという初心者の方にも楽しく学んでいただけるようなプログラム構成にしています。
プログラムのコース2種 | |
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導入コース | 農業や福祉に興味を持っている方が農福連携の基礎から学べる実習多めのコース。 |
応用コース | 「もっと深く勉強したい」という声に応えて開設。全国から受講できるようオンラインでマーケティングも含めた座学中心コース。 |
千葉県は人口が多く農業も盛んですから、障害者と農業が出会える絶好の環境です。潜在的な能力はすごく高いけれど、まだまだ件数が少なくてもったいない。だから、千葉県内での農福連携の取組を増やすべく、県や市とタッグを組んで啓発イベントを企画しています。
―これからの展望をお聞かせください
これまでの研究では「働けるのに働く場所がない方」を対象にしてきましたが、今後は重度の障害があり「働けない」と見なされている方の農福連携に取り組んで、都市農業の新たな機能、と言うことをテーマに「ユニバーサル農園」に関する共同研究を実施する予定です。この中で、障害者をはじめ、認知症高齢者や自宅にこもりがちな方など、多様な人たちによる農園での交流の効果検証や地域経済社会への影響の分析をします。農作業は認知症の方の残存能力が活かされ、精神的健康を向上させるというメンバーの研究成果* もあるので、認知症の方にもぜひ加わっていただきたいです ね。
この研究のきっかけとなったのが、2024年2月に視察したオランダのケアファームです。ケアファームとは障害者、認知症高齢者、薬物依存症の人などをケアする農場で、オランダ国内の1,400施設で約2万人が利用しています。日本には10を超えるくらいしかありませんから、オランダの充実ぶりがうかがえます。
しかし、オランダのケアファームには利用者に負荷をかけてはいけないルールがあります。つまり、ケアの中では訓練(スキルアップ)は実質的には行えないのです。その点、日本の農福連携の現場は一歩先を進んでいます。障害者だってトレーニングを重ねればスキルが向上しますし、みんなの役に立てれば嬉しくなり、自信がつきます。成長できる障害者を農業で伸ばす、という日本の良いところを海外にも伝えていきたいですね。
農福連携は小さな一歩から。農家も障害者も、また認知症の方も、焦らず気負わず、まずはひと味違った農業をみんなで楽しんでみませんか。「できない」と思われていた存在が社会の常識を変え、地域の農業を救う。農福連携はそういう大きな力を秘めています。
―農福連携を研究する学生さんへ伝えているメッセージはありますか
先入観なしに広い視野で現場を見てから、卒論テーマを絞った方がいいよと伝えています。フィールドワークの世界は理屈通りではなく、むしろ予想と違うことを楽しむのが醍醐味です。強い好奇心と深い洞察力を持って、なぜ現場を訪問する前に持っていたイメージと違ったのか考えるといろいろと見えてくるものがあるはずです。
また、人生経験で意味のないことは一つもありません。悶々と悩んでいる間は遠回りをしている気がするかもしれませんが、後から振り返ってみると「あの悩んだ時間があったから、卒論を完成することができたんだな」と納得できる時がきっと来ます。だから大いに悩みましょう。そして、忙しい中研究に協力していただいた皆さんへの恩返しとなるような卒論を書き上げてフィードバックしましょう。これはフィールドワークによる研究を行う上での大切な姿勢です。
● ● Off Topic ● ●
部屋から出られない、いわゆる引きこもりの方も農業を楽しめるようになったと伺いました
引きこもりが長期にわたると気力だけでなく体力も落ち、外に出るのがますます難しくなります。引きこもりの方を外に出すためのユニークな取り組みもあるそうです。まず、訪問したときに野菜の芽が出た種の入ったカップを、「見といてね。そして時々、様子を教えてね。」と言葉を添えて渡すのだそうです
観察だけなら部屋でできますし、野菜の成長は楽しみになりますね
そのあと様子を尋ねてみて、順調に野菜が成長しているようであれば、「窮屈そうだから植え替えてあげない?」と外出を提案するのだそうです
植物のために、勇気を出して外へ出る。農業と福祉、相性の良さが分かるエピソードです
インタビュー / 執筆
安藤 鞠 / Mari ANDO
大阪大学大学院工学研究科卒(工学修士)。
約20年にわたり創薬シーズ探索から環境DNA調査、がんの疫学解析まで幅広く従事。その経験を生かして2018年よりライター活動スタート。得意分野はサイエンス&メディカル(特に生化学、環境、創薬分野)。ていねいな事前リサーチ、インタビュイーが安心して話せる雰囲気作り、そして専門的な内容を読者が読みやすい表現に「翻訳」することを大切にしています。
撮影
関 健作 / Kensaku SEKI
千葉県出身。順天堂大学・スポーツ健康科学部を卒業後、JICA青年海外協力隊に参加。 ブータンの小中学校で教師を3年務める。
日本に帰国後、2011年からフォトグラファーとして活動を開始。
「その人の魅力や内面を引き出し、写し込みたい」という思いを胸に撮影に臨んでいます。
連載
人と地域を繋ぐ園芸
「地域再生・健康・福祉」を通し、園芸と地域の人々の繋がりをひろげてゆく、3名の研究者の活動・研究を紹介する。